聖夜の始末書

そもそもこの始末書はクリスマスに仕上げたせいかファンタジーに満ちている。ある日突然、降って湧いたような出来事。ただ、その人がそう思っていること、その人がそう信じていること、そのように見えることというのは人それぞれであり、全ては書き記されれば事実は事実として書き記せないファンタジーなのではないかと思える。程度の差こそあれ。接続詞一つとっても雰囲気はある。「だから」そうなったのか、「しかし」そうなったのか、「とにかく」そうなってしまったのか。事実は事実だが、その事実にも常に視点は入り込んでしまう。月曜日に先方に謝りに行き、年始から徳山出張。その事実は変わりそうにない。奇跡が起こってくれれば別だが。

土曜日
iTunesストアで諸々買った。松屋キムチチゲを食べて、あったまった。昼、西新宿へ行った。そこで上述の仕事の連絡。喫茶店やらマックやらでなんとか済ます。その後、ヨドバシカメラで諸々購入。小滝橋通り店でクリスマス二郎。帰宅後、仕事。アップルタイザー飲む。