混沌

なぜ、そのような感覚になるのか未だに自分がわからないが、混沌として壊れているのがおもろいという感覚が常にある。壊れているバイクほどかわいい。ある日ある男がこんなことを言った。「その仕事だって、その会社だって何年先は分からないだろう?」。安定を求める彼がその台詞に含意するところは納得できた。「できることなら、何年先も大丈夫な仕事を何年先も大丈夫な会社でしたい」。俺は全く逆で「だからこそおもしろい」って感覚がある。終わってる仕事や会社をどうにかもりたてようとする人達と働くのと、殿様商売を続けている人と働くのと2つの選択。安定したところで働くのもいいことなのかもしれないが、無理と思っていても諦めない馬鹿の熱さとか、好きだなぁ。もりたてようとする人がいないならば、問題外ですが。
世の中には未だ不合理なこと、不都合なこと、問題が山ほどあって、法律でも科学でも解決できない、どうしようもないことに満ち満ちている。完璧は絶望で、完璧は終わりで、完璧は不幸なことなんじゃないか。変えられないことを変えようとする楽しさが混沌にはあって、壊れているものは補修する楽しさがある。だから、問題があることが問題じゃなくて、問題を解決する意思がある分には大丈夫だ。問題を見捨てるのが問題。どうにかしようと問題を解決しようとする姿勢がある限り、問題はいつか解決するのだと思う。個人的には、何年先なんて一生わからなくてもいいかなと思う。