ノーカントリー

金曜日
@六本木。The Coen Brothersの映画。原作はコーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』。最後が納得いかないが、殺し屋の完成度が高い。とにかく、ハビエル・バルデムが演じるアントン・シガーが強い。それ以上の感想はない。最後は善意のようなものでシガーが惨めな死を遂げるという皮肉があるのかと期待させたが、そうじゃなかった。ああいう終わり方は、あれですか、世界への諦観ですか?分からない。展開ですが、勧善懲悪的なものをデファクトスタンダードととらえず、「美しい終わり方」を敢えて提示しない姿勢は大いに評価したいけども、あれはなんか納得いかねぇ。モスの死に方を映して欲しかった。見終わったら、日比谷線の終電なくなったから大江戸線門前仲町まで行って歩いて帰った。

いつか忘れた
「ジャンパー」
@新宿バルト9。ダグ・リーマンのとにかくいろいろ飛び回る映画。パラディンとかいってFFワードが。パラディンつえーよ。渋谷が出てくる。東京が出てくる。ああいうノリのスニーカー文庫作品があった気がする。とにかくテレポーテーションする主人公のデヴィッド・ライスを演じるヘイデン・クリステンセンのコートがカッコいいねということとサミュエル・L・ジャクソンはこれからも殺し役を演じて欲しいということを除いて、感心するところはない。このような映画でパンフレットに使う映画評書いてくれとか言われたら、本当に困るだろうなぁ。ねぇだろ、感想なんて。「僕もいつかジャンプできるようなったら、いろんなところにジャンプしたいです」とかもう幼稚園生な感じになっちゃうというか、よく分からない。そういった感想こそが求められているのかも知れないが。

昔話の形態学」に影響を受けたところで、物語の根幹というか、物語のつむぎ方というか、そういうのが気になる。例えば、よくあるのが先祖代々その職業(王とかも含む)とかその特殊能力を持った家系とか(ジョジョもそうだし、ドラゴンボールも)。その導入は、現在の物語にも使われているけども、人間はそういった導入で「ああ、先祖代々それなんだ」っていうところを信じて、伝統に畏怖を感じているようなところがあるんじゃないか。つまり、莫大な時間、過去から脈々と未来へと続くその時間の流れと技や地位の伝達っていうところを信じて、その存在がそもそも根本的にどうなのっていう問題をどこかに置き忘れてしまって信じられているところがあると思う。例えば、皇室。日本のそれは象徴(ということになっているの)だけど、語る上でその伝統を説明するのだろう。それって物語的だなぁと思ったり。伝統や時間でその人の存在の重さを説明するっていうのがなんかあれですねと。