英会話

かなり行ってなかったもんで、欠席分を取り返すべく通っています。今週で12回うけなくちゃいけないのだけど、月曜から現在まで6回のレッスンをうけた。

適当にだったら話せるなという自信がついたから、もう英会話はやらないつもり。TOEIC対策とかそういうのはもしかしたら通うかも知れないけど、英会話はもういい。今までは、俺が社内の若年層で一番できない人だったらどうしようという危機意識で動いていたところが多かったけど、そんなこともないみたい。キャー、どこ見てんのよー、目線がダメねー。

大手のNOVAのクソ営業がニュースで詳らかにされているようですが(小生はNOVA利用者ではありませんが)、英会話ビジネス自体がクソだっていう認識を持っている。やっぱり業界的なブラックさを感じる。そこを感じない人もいるんだろうけど、やっぱりなんかブラックくせぇ。一番可哀想なものを背負い込んでいるのは、管理者と英会話学校の日本人教師だろうな。

例えば、自動車教習所とか訓練校ってのはある一定のレベル(と見なされたところ?)で卒業するわけだけど、英会話に限って言えば、経営側がその卒業を望んでいないところがあって、そこがこの業界のブラックさの根源だろうな。

英語と言えば、始めて海外旅行に行くまで、英語が話されているって言うリアリティーを信じていなかった俺がいる。相当、馬鹿だ。正しく言えば、信じてはいたと思う。でも、勉強している英語がそのまま話されているという感じを受けなかった。例えば、one、ones、another、the otherとかの区別とかこれ、本当に海外の人が理解してやってんの?ていう不思議。リアル白人見たのがおせーし、カントリーサイドで罵詈雑言浴びせられてきた幼年期からすると海外は異文化過ぎて本当にリアリティがなかった。
歴史の年号もそうだった。中学に入ってから、これって本当に正しい年号なの?っていう不思議。年号を繋げて合わせている時、10年ぐらいずれてんじゃね?とか1192年が鎌倉幕府成立ってのは良いけど、どの古文書を現代からたどって1192年であると言い切れるの?という謎というか。多分、応仁の乱とか時代時代の重要なポイントがあったのだと思うけど、時代を書いたものでもどっかで年数とか間違ってるんだろうな、とか「もう1192年で広まっちゃったから1192年で良いよ、実はもっと古いけど」とかないのかな?とか。いろいろ書いてある古文書があったとして、それ全部嘘かもよ?とか。それ全部作り話なんじゃないか?とか。疑り深さを盾に勉強しませんでした。すいません。学生時代はそんなんだったので、最初から作り話であると断言する小説に関心を持ったのは言うまでもない。俺の関心は最強のリアリティか最強のフィクションかである。

最近、苛立ちを口に出して言うようになっている。何もかも時間がないからである。あと、もう20歳を超えるとその人のキャラクターは大きく変動しないだろうという諦観みたいなのも感じている。誰かを動かそうと念じるよりも自分が動いた方が早い。時間がないせいで、出来事にも人にも解決にも刹那的な安心を求めている自分がいる。キレる大人の多くは時間がないのだと思う。だからといって、時間があるなどと妄信する必要はない。実際に、時間はないのだから、もうどうすることもできない。とにかく馬鹿みたいだ。