人生で最も大事な行為は睡眠

真偽は分からないが、思ったら、既に書いてしまっていた。若槻千夏のブログのタイトルのようなもの。タイトルのような一言が広告的に言及されていたとして、否定はできない。質的に、そして時間的に、「呼吸」や「消化」と等しく日常の生命維持行為として人間が「睡眠」に費やしているのは事実。故、睡眠が大事と。そうかもね、と。小生は柔らかいベッドが嫌い。先日、関根勤が宣伝していたベッドが新品みたいになるというパッドを購入したのだが、これが全然効果を感じられない。いや、ベッドというかnear less than畳レベルの固さを期待していたわけで、デフォの方が固いような気がする。というわけで即、はがした。無駄金使いました。話がそれた。眠い。

週末は帰省した。何も変わっていなかった。安藤忠雄の作った公園をスルーした。なんか、雨降ってんだもん。雨の中、カッパ着てどこの不審者だよっていう。

帰りテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」を熟読。何度読んでも発見がある気がする。この劇は秀逸過ぎる。先ず、タイトルが魅力的。で、始まり方が最強。舞台は、ニューオリンズ。「欲望」という名の電車に乗って、「墓場」という電車に乗り換えて、「極楽」というというところに辿り着く。道に迷ったブランチにユーニスが尋ねる。

ユーニス「そんなら、あんたの立っているところだよ」
ブランチ「『極楽』が?」
ユーニス「そう、ここが『極楽』さ」

しびれる。その極楽で、地獄のような扱いをうけるのだ。この皮肉。スウィフトならこんな直喩の皮肉使わねー。美しい夢を意味するベル・リーヴ。これはデュボア家の農園がある先祖伝来の屋敷のこと。美しい夢から現実の世界に来たのだ。あと、最後が目眩する程美しい。冒頭もブルースのピアノの音色がニューオリンズの街に響くのだが、最後、頭のおかしくなったブランチが精神病院に連行され、妹ステラは泣いている。しかし、その様子はどこか満ちたりた感じさえ見られる泣きっぷりなのだ。これをスタンリーはなだめる。

スタンリー「もういいんだ、いいんだ、ステラ・・・」
鳴き声や呟きは次第に高まっていくブルースのピアノの音色とトランペットの音楽に消されていく。
ティーブ「今度はセブンポーカーといくか」

これが終わり。スタンリーなどの地元の労働仲間がトランプで遊んでいるところで、ブランチは連行される。そして、この最後の「セブンポーカーといくか」。この台詞が、ブランチなんて興味ねぇよという場の空気を一瞬で表現していて秀逸だと思うのだ。普通だったら、音楽のところで感傷的に終わりじゃないですか。しかし、そこで、スティーブの「今度はセブンポーカーといくか」。セブンポーカーはゲーム上、手札の一部が相手全員に公開される。ポーカーは終わって、セブンポーカーを始めようってのが、隠し事は終わりっていう暗喩にも思えてくる。

劇中のステラとブランチは無垢とスノッブとして対比的に描かれているのだが、このスノッブ具合がまたリアルですごい。ショタ好きの負け犬国語教師おばはんが、贅沢三昧したことで先祖伝来の遺産も土地も奪われて、無理に結婚したショタ美少年との自殺とかいろいろあって、田舎でもいろいろ噂になって故郷にもいられなくなり、下町の妹夫婦のところへ行く。妹の夫がなかなかクセのある男でやたらそのおばはんを攻撃する。細木数子の番組とか出たら、めためたに言われそうなおばはんなのだ。とことんおばはんは追いつめられる。彼女の過去の欺瞞とかスノッブさが露呈されていくのが痛々しい。最後、そのおばはんは皆から拒絶されて、頭がおかしくなってしまう。逃げ場所の「極楽」で、「地獄」のような日々。

秀逸な悲劇は笑える。ものすごい悲劇は笑えるとか言うと、「ブラックねぇ、ひねくれてるねぇ」などと言われることもあるけど、寧ろ、ディープな悲劇で笑えないなら、あんたらそこで笑えなかったら、どこで笑うの?っていう。何でもかんでも下向いて生き続けるしかないんじゃないかとすら心配になるわけで。というか、悲劇って笑えるよなという部分を徹底的に嫌悪する人とは、深い会話はできないだろうと思う。