ニューヨークストーリー

新国立劇場。ここ綺麗で好き。栗山民也演出。市村正親がヒッキー役。演出は至って普通。敢えて良い点を挙げればキャストの豊かさ。良い俳優なのか、それとも良い配役なのか、とにかくキャストがしっかりはまっている印象。
市村正親は滑舌が悪い。語尾がもごもご。はっきり喋って欲しい。彼は結構ベテランの筈なんだけど、そもそも彼のどこが優れているのか良く分からない。篠原涼子は分かっているのだと思うが。四季出身ってのもあるのか。俳優の長年培ってきた技術が感じられない。雰囲気というか間の取り方とか。説明しにくい部分なんだけど。あと、岡本健一って人は台詞よくかむ。

内容は、あまりおもろくない。「夜への〜」や「喪服が似合う〜」に比べると台詞の言い合いの迫力がない。社会の底辺というか、どん底な酒場の人々の話。妻を殺したセールスマンが底辺の人々を無理に日の当たる場所に引きづり出そうとするんだけど、結局失敗に終わって、自分も逮捕される。劇中、そのセールスマンと運動家の息子の裏切り行為が罪として重ねられるが、どうも腑に落ちないというか、ドラマツルギーにうまくはまらない。合点がいかないというか、クライマックスへ向かって走らないのだ。殺人が後に明らかになるというサスペンス的な作りを試みようとしているのだが、なんていうか、説教臭い。この「氷屋来たる」はアメリカのブラックジョークと聖書の「花嫁来たる」の一文からアイデアが出ている模様。それもやっぱり伝わりにくい。最後は、底辺の人々は何も変わらない。

「馬鹿げた明日の夢」という劇中に多用される台詞は「夢なんぞ追ってないでもっと地に足つけて働け」とか「そうやって、明日にはやる、俺には夢がある、と言い続けて結局はこのドヤ酒場で飲んだくれ、人生をダメにしちまった」という意味に響く。その辺は現代の若者やフリーターにも響くなんかがある気もして、SPA!の見出しで言うところの「中年下流の実像」ってところか。劇中のほぼ全員が、なんかしら人生をダメにしている。で、酒。いつものオニール節である。中毒患者いぱーい。酒で加速的にいろいろぶちまける。故意の収賄刑事、金をごまかすサーカスの切符屋、妻の死で外に出るのが怖い店主、売春婦に金をたかるヒモバーテンダー、酒で全てをダメにしたアル中エリート弁護士、皆、アホの夢にしがみついて、「明日は生まれ変わる、明日は生まれ変わる」と言っているのだが、言っているだけで、いつもと同じく酒にのまれてしまう。現実を忘れるための酒。もうこんな現実は見たくない。せめて、明日の夢を信じて、現実もわからなくなるまで飲もう、と。酒で全てを吐露するっていう姿に人間臭さを感じるというか、そういう形で独白を行わせる描き方にオニールの人間への視点の鋭さを感じる。人間、辛いことは言いたいわけじゃないですか。皆、抱え込むのは辛いから、結局そういう場でそれとなく言っちゃうのが人である。この作家のそういった描き方には強い興味を感じずにはいられないわけで。

オニールの"Beyond the horizon"のDVDが届いた。Broadway Theatre archiveのやつ。カッコイイ。リージョンなんとかで見れないとかいうのを読んだけど、試行錯誤してみよう。。。

以下の3監督の短編集。

Martin Scorsese マーティン・スコセッシ
Francis Ford Coppola フランシス・フォード・コッポラ
Woody Allen ウディ・アレン

<第1話/ライフ・レッスン>
スコセッシの。ニューヨークの現代アートで成功している画家と助手の少女との話。Procol Harumの”A whiter shade of pale"が象徴的にというか、恋を表現している場面で出るのだけど、古くせぇ。おもろさを発見できず。カメラを絞るみたいな効果が時々出てくるのだけど、古くせぇ。

<第2話/ゾイのいない生活>
コッポラの。留守がちな両親とニューヨークの超高級ホテルに住む女の子の話。これはつまらない。神話か何かの現代版だろうか?ユリシーズ系だろうか?そうであれば、つっこむべきところもありそうだが、何の参考もなく突如これを作ったとしたら、ひどい。おもろない。残ったまめ知識は、「昔、フルートの音色は人を惑わすので禁止されていた」ということだけ。そこも本当かどうかわからない。主人公の少女がかわいくてこれ作ったんじゃないだろうか。或いは、ソフィア・コッポラ(コスチュームデザインでクレジットで出てた)を使いたかっただけじゃないのか。

<第3話/Oedipus Wrecks>
これが見たかったわけで。ニューヨークの弁護士と彼を口うるさく子供扱いする母との話。ある日、母は中国奇術のボックスに入って消えてしまい、彼は開放感を味わうが、消えた母がニューヨークの空に現れて、口うるさく注意を続ける。最後、結婚する予定だった子持ちの女性と別れて、女祈祷師と結婚すると報告すると、母が地上に戻ってくる。
途中からファンタジーになるので、ちょっと迫力が落ちた感じがしたが、最後が心が温まるというか、最初の精神科医との相談が妙なところで落ち着いたというか、大人になったというか。ウディ・アレンの「人」への視点が優しい。人間への見方というか。ミア・ファローが出てた。で、この映画もまた精神分析、手品、女である。この場合の女は、母との関係であり、恋人との関係であり、新しい恋人との関係である。新しい恋人が何気に、母の分身というか、似た部分をもっている映し鏡みたいなところがあって、アレンは母と似た人を恋人として受け入れ、そしてまたうんざりしていた母を受け入れたというところで決着する。妙に、後に残る映画だ。心に残る。空から母が「子供の写真持ってんの?」って聞いて、皆が「持ってる!」と答えるシーンは滑稽でもあり、多くの人にとっての累計的な「母」の姿が微笑ましく表現できている良いシーンだと思った。