福満しげゆき「カワイコちゃんを2度見る」

日曜
マンダリンオリエンタル東京の地下にあるレストラン。落合シェフのとか。ランチで行ってみた。普通かなぁ。。。

水曜
セゾン・レガルとケストリッツァー・シュヴァルツビアを飲む。何このカタカナの長さ。セゾン・レガルはちょっと辛い感じがした。

木曜
夕飯@つばめグリル。帰宅。ヒューガルデン・ホワイトを飲む。まぁまぁ美味しい。「ニューヨークストーリー」鑑賞。感想は書きたくなったら書こう。
ウディ・アレンでの性的な倒錯というか劣等感は強迫観念としてあるようでおもろい。離婚した妻が暴露本を書いて自分の性癖もばらされるとか、離婚した妻が「女性」と同棲しレズビアンに目覚めるとか、そういう話が多い。ともあれ、破綻した家庭と、自らの否を認めつつ家庭を復興させたい男性の姿を描くことで、恋愛の描き方が妙にリアルに響いてくる。これが、「離婚?問題ねぇっすわ」的なチョイワルだと、感情移入が難しいというか、そこに人間らしさを感じられないんだろうな。漫画の主人公asヒーローの最も類型的なイメージは、一種のひたむきさだと思っている。手塚治虫漫画なら「ロック」とかドラゴンボールの「悟空」とか?複雑な主人公ってダメですな。狡猾でなくとも、自分よりsmartだとちょっと、ね。どストレートさが表現されてなくとも、どストレートが故の失敗を抱えている主人公ってのがよくある表現で、一般大衆の共感の源はそこだろうな。どストレートなキャラが生き辛さを表現するだけで、その意味がわりと重く観客に響いていく。人間臭い一喜一憂というか。劇にはしばしば、「ウェルメイド」という言い方があって、時としてそれはメロドラマ的なもんを侮蔑する時に言われたりしているみたいだが、ウェルメイド劇の前提としての「ウェルキャラ」があるのだろうと思った。「てめーら、キャラ作り必死っすね」というか。日常とは、関係の中のキャラを発見して自己を重ねるRPG

金曜
ビール。BECK'S。飲み易いなぁ。

福満しげゆき「まだ旅立ってもいないのに」と併せて読んだ。おもろくねぇなぁ。「僕の小規模な〜」でスクーターで走りながら「彼氏がいるってことは!つまり!いつも!普段から!その彼氏と!互いの性器を!舐めあっているという!ことか!」でめかぶと酒を飲んでしまうK点越えのDT's feelingのせつなさがねぇというか、なんか、「こんな表現というか展開したら意外でしょ?斬新でしょ?」みたいな作者の前衛意識が透けて見えるっつーか、何も新しくねぇよと寧ろそれをつっこみたい衝動を禁じ得ないというか。衝動的というか突然刺したりするシーンが妙にキモこええ。鬱な人とか自意識過剰な方の妄想が吐露されているシーンとかの効果があるからかも。笑えねぇ。タイトルは良い。確かに二度見する。