David Harrower

東中野KAZE。真面目過ぎて、つまらなかった。「アドルフに告ぐ」を思い出した。客席の作り方が良くない。もう少し段差を出さないと、前の人の頭が邪魔になる。内容は真面目過ぎて寝てしまった。寝ていたら、足の匂いで目が覚めた。斜め前の人が靴を脱いだのだと理解した。斜め後ろまで臭ったのだ。どれだけ臭うのかと。俳優のレベルも高くないし(間違う人や噛む人がいる)、演技に適当感を感じる。同じ役者が多数の役をやるので人不足感も感じる(役の年齢と役者の年齢が遠い気がした。それこそ、老人でも赤ちゃんを演じることはできると叫ぶ演出家もいるんだろうが、ヴィジュアルとしての整合性が既にない中で、複数の役をやっている役者がその役を演じるというのは良い演出なのか疑問である)。発声の仕方は良いけども。レパートリーやったもん勝ち的な意識があるんだとしたら、残念。中高年が多かった。

サム・シェパード「飢えた階級の呪い」
読んだ。とても面白かった。サム・シェパードは粗野な親父(ウェストン)を描くのが上手い。というか、いつも、か。この劇で空っぽの「冷蔵庫」の開け閉が、いつか豪華な食料がいっぱいになっているんじゃないかという奇跡を待っている感じであるのと同時にこの飢えた階級家族の繋がりがただ冷蔵庫を開け閉めするという「飯あるか?」的コミュニケーションに集約されているっていう格好良さ。ギターウルフ的に言えば、「冷蔵庫ゼロー!」であって、頻繁な冷蔵庫の開け閉めで崩壊寸前の家族を表現するなんてカッコイイ。例えば、「灰皿一杯のタバコ=追いつめられているほど考え込んでいる」とかそういった「ツール」を使ったメタファーが上手いなぁと。猫と鷹の争いと落下とか。

要はこの息子(ウェスレー)も親父のニトログリセリンの血をひいていて、飢えた階級の気質が遺伝していくということ。娘も優等生だったのに、犯罪者(おそらく、売春婦)になって家を出る。このシーンがやや強引な気がしたが、とにかくサラ金ヤクザに家やら金やら奪われて、車は燃やされて、父と娘は出て行って、母は詐欺師に騙されて、息子は人を殺したか家畜を殺したか血まみれで、と悲惨極まりない状況で終わる。ここで終わらせるっていうのが素敵だ。

第三幕で父親が生まれ変わったとか言い出すけど、実は全然生まれ変わってもないというシニカルな息子の断定とかするあたり、息子ウェスレーは父と反対に未来を切り開く重要人物に思えてくるのだが、そのウェスレーが、後半いつのまかにかウェストンになってしまうというフォーカスのずらし方がシンプルに巧妙。上手いと思う。飢えた階級の呪いにより、気質は遺伝していくのだ。名前でも、ウェストンとウェスレーは似ているし、相性が「ウェス」。。。
話は変わって、作者の息子がSamuel Walker Shepardとい名前なのを知って興味深かった。息子もサム・シェパード。階級の気質が遺伝しているのか。。。そして、高校生で演劇の世界へ興味を持ったのがサミュエル・ベケットの作品。サミュエル・サミュエルしている。

その後、吉祥寺へ。吉祥寺へ行くと、「僕の小規模な失敗」を思い出す。吉祥寺に住むのに憧れてた云々のところ。甘酸っぱい!「ろくでなしブルース」のイメージは完全に福満しげゆきに消されたよ。。。どの店も混んでた印象。買い物して、会社に寄って、築地へ。昨日も今日も中央線、地下鉄の移動が多く、mobile suicaが活躍した。

Black Birdローレンス・オリヴィエ賞を取ったそうだ。でも翻訳もないし、最近彼の戯曲やってるのを聞かないし(ドラマリーディングではあったようだが、リーディングは個人的に好きではない)、洋書で読むしか選択肢がない。海外の現代演劇の翻訳が明らかに少ない気がする。

水曜
Sam Shepard “The God of Hell"
俳優座稽古場。Shepardの最新作であるが、正直、あまり印象がない舞台であった。ミステリー風な作りを狙っているのだろうが、ひっぱり過ぎである。疲れる。社会批判劇である。役者は良い。演出も良い。舞台美術も立派だ。おそらく、スタンガンかなんかを仕込んでるんだろうが、あの電気のパチパチはすごい。
サム・シェパードは「ゴドーを待ちながら」で演劇に目覚めたそうだ。ああ、分かるわ。渡る世間は鬼ばかりとかで目覚めなくて良かったなぁ。というか、渡鬼は、岡倉大吉が藤岡琢也死んでも、宇津井健が差し替え的になりながら続く様子に、象徴としての絶対父性岡倉大吉を観るようでギリシア神話だ。ゴドーを待ちながらの続編は、別役実の「やってきたゴドー」ではなく、石原まこちんの「THE三名様」だろうと。その後、会社へ休日出勤。ぬがー。終わらねー。

土曜
John Millington Synge "The Playboy of the Western World"
新宿パークタワー。めためたおもろい。今風に言えば、シングやばいっすよね、である。初期ドリフ的とも言える。たったったたったららったたったららったの音が良いタイミングで入ればドリフにもなる。基本、ギャグなんだけど、喜怒哀楽があるというか、人間臭いというか、まとめかたが秀逸。本も買ってもうた。人殺し=モテるっていう広げ方が最強。舞台を現代にしたら、かなり「今」にはまる劇じゃないかと思った。
斜め右に内野儀(!?)がいた。去年も東京国際芸術祭にいたような。ちらちら観てしまった。鞄を膝の上に抱えていた。近くで観ると、太っているなぁ。休憩時間、タバコを吸っていた。よくキョロキョロしていたが、教え子でも探していたのだろうか。
客層は大学か大学院の専攻でアイルランドやってそうな人(早稲田?)とか若い演劇好きや若い劇団員が多かった。シングって公演だとレアだし。
ポストトーク岡室美奈子てんてーと演出家ギャリー・ハインズの対談。岡室てんてーが英語で全部やれば良いのに、通訳がいて、この通訳が一度の台詞全部訳すから、非常に時間がかかる。岡室てんてーは、アイルランド人はフィクションを信じる傾向が日本より強いとか言っていたが、俺は共感できなかった。以下、岡室語録
1. 現代はリアルを求める時代にある。リアルが尊重される。
→じゃぁ、ハリポタとかどうなん?何故ハリポタが売れる?
2. アイルランド人はフィクションを信じる傾向が日本人より強い
→どういう理由でそうと言えるのか?理由がない。大方、何人がどうだとか言う議論はくだらない。
最後に、「ベケットをやる予定はありますか」と尋ねてギャリーは「やらない」と答えていた。ジャンルが全然違う気がする。

その後、買い物。ネクタイとか購入。一度帰宅して、結婚式へ。とても盛大かつ豪華かつ素敵な二次会だった。