Edward Albee ”Who’s afraid of Virginia Woolf?”

シアターコクーン。前の席の人の座高が高くて、嫌な席だった。

率直に言って、おもろくない。発表当時に照らし合わせて考えれば、この劇の価値はあるだろうと思われるが、個人的なレベルで何度も観たいかと言われると、観たくない。段田安則大竹しのぶは良かった。舞台美術も良かったと思う。しかし、総じて特出したものを感じられなかった。演出、どうなんすかね。

ミステリーとまではいかないけども、ミステリー風展開。物語が進むにつれて、真実が明らかになっていくような「謎解き」は、ストーリーの「核」だ。演劇に関して言えば、「台詞」にその謎解きのエッセンスが含まれていることが多いけれど、出来事を語る場合に、その人物の客観性が重要であるなぁと大学の授業を思い返した。Aは、主観的にその出来事を語り、Bも主観的にその出来事を語る。同じ出来事であるが、捉え方は別々。AもBも自分は被害者だと思っている。原因はあったはずなのに、都合良く理由付けられていて、「誰が悪いのか?」「何が悪いのか?」、観客は混乱する。観客の混乱を招かないためには、劇中、フェアで客観性を保った人物を置くことは重要だが、一方で「客観的」って何よってことでもある。一般的にモラルある人に語らせがちですが、アナーキストに逆モラルを語らせるっていう逆説的表現もあるだろう。昔の「神の声」とか「神の思し召し」とか所謂「神」って便利な機能だったんだなぁ。「夢」の機能も大事だけど。