”Pride and Prejudice”

数年前、「ジェーン・オースティン博物館」(http://www.janeausten.co.uk/)まで行ったわけだし、映画"Pride and Prejudice"には期待。Bath、懐かしいよ、Bath。Gay Streetという通りだったと思う。「プライドと偏見」や「自負と偏見」より、原題のままの方が良いと思うんだが。ともあれ、映画としてJane Austenを堪能したい。

小早川伸木の恋」
ドラマ。大泉洋が・・・「どうでしょう」っぽくない。柴門ふみは昔、哲学科の学生で弘兼憲史のアシスタント。現在は弘兼氏の奥さんという話をすると、大体一人二人驚く人がいる。結構有名だと思うんだけどなぁ。好きな漫画家同士が夫婦というのは読者としても嬉しいです。

今日も荷物が受け取れなかった。もうちょっと早くあがれば、間に合ったんだけどなぁ。。。

で、昨日も話した「welcome to the dollhouse」。この際、ネタバレ連発させて頂くが、この作品は最後が絶妙なのである。「best teacher, best student, best school」とかvoidな世迷言看板をどかーんと後ろに掲げたクソ学校で、妹誘拐事件の感謝を学校中に伝えると、「ブス!」などと言われるこの不条理。で、何もかもが嫌で、学校の代表として合唱コンクールにディズニーワールドまで行くのが馬鹿らしくて嫌なのだけど、大学入学の内申書のためとか、打算なことを言い出すnerdな兄とかもいて、嫌々従いながら、つまりは学校への隷属を強いられながら、「私達、中学校のハミングバードよ」などと虚無虚言この上ないvoidな歌を、夢の国「ディズニーワールド」で歌うために乗っているバスのシーンで終わる。虚空を死んだ目で見つめ、歌い続ける。で暗転して、end rollでwelcome to the dollhouseの歌。グレート。

そう、毎日がくだらなさに満ちていることに気付いて、あがくのだけど、何やっても無理、無駄、失敗して、結局隷属っつーか、だるく生きるしかない青春の不毛さがありありと表現されているのである。「俺はビッグになる」とか言っても、何やっていいかわからんし、何かをやっても、ほとんど上手くいかないわけよ。中学生だもの、みとぅお。

今もそうだし、愚生が子供の頃もそうだったが、なんだかんだで子供は無垢、純真、希望、夢、未来の代名詞だ。CMやドラマで強調される一般的な大人が描く子供像は、明るく、素直で、弱い存在だ。大人や大人の世界の相対として子供や子供の世界を解釈しようとする。

子供は楽?子供はのんき?子供の世界は純粋?全ての子供がそんなわけないのに、大人は主観のイメージで彼ら総体を捉えがちだ。

子供は真っ白じゃない。子供だって闇はある。青春だって同じことだ。青春にも闇はある。しかし、考えて見れば、僕らはやはり青春を現在の相対として、郷愁として、美しく写真アルバムに飾りがちだ。でも、それは一部分なのだ。何も「全て描かれること」が偉いわけでも良いことでもない。加えて、「美しく語ること」が悪いこととも思わない。けれど、笑顔の写真ばかり集めた「嫌なものは都合よく削除された青春像」は、不自然な感じがしてならない。

この映画は、現実を直視することによって、誰もが思春期に感じる居心地の悪さや家庭や学校に対する苛立ちがとても上手く表現されていると思う。