今日はダークに・・・(いつも?)

「ひどーい、さいてー」と拒絶する女子と、寧ろその台詞に興奮する男子。世界は馬鹿と最低の最小公倍数で満ち満ちているわけで、マイチャリンコが、ライト盗まれ、垣根に投げ捨てられるわけです。まぁ、どうでもいいんだけど。おでこの眼鏡ででこでこでこりーんしたら、もっさもっさ声の俺の自転車が泣いているだろうこと必至@ノンタック。

帰り、フルーツビア+チーズ@カフェ。イームズの椅子だけがどばっとあっても、誰もおらず。漏れだけ。しょうがないので、プロジェクターのカタログでも見る。やっぱ、ホームシアターは憧れですよねー。AVとかどう映るんでしょうか?ホームシアターで一人AVって孤独感すごいね。AVで「肌色が映えないよなー」とか熱心に語ってる映像オタとか、おめー強えぞ@オッスおら悟空。AVでAV。

マックでガレージバンド動かすも異音で落ちる。そんなぁ。PowerMac with Cinema Displayでやってみたいなぁ。

ああ、演劇!研究っつーか、実際doもできれば!同時にロック最高。ステージっつーか、MCつーか、寧ろクラブの雰囲気でも何でもいいから、音楽と演劇は全部最高!寧ろ、現場でやらせろ!演劇以外、無!マジで!そう説いたら、中学の俺だったらこう返す、「いや、ロック以外価値無し!」。どっちも最高だから、ロックと演劇以外は無ということで、折衷案!

エドワード・オールビー全集ゲット。やっぱ、演劇ですよ。くだをまいて、だだこねてる人々ですよ。いわば、「叫び」ですよ。叫び。叫び以外もう意味ない。真実はそこにしか宿らない。

ハピマンのべズですよ。べズ。ステージ上で踊る。それだけ。いわば、ピエール瀧ですよ。パフォーマンス。パフォーマンス重要。

演劇が好きだ。振り返るとそれは、小さい頃の劇場体験だったのではないか。子どもの頃、友達の家族とうちの家族で演劇をよく見に行った。千葉の会館まで。すごく楽しかった。その時の体験が今に根付いているのかも知れない。よし、俺もそういう感動を子ども達にもプロデュースしたい、と思っても、いざ、社会人になると、邪魔が入り、演劇から遠ざかり、忌野清志郎が、「金儲けのため〜に、生まれたんじゃないぜ〜」と言う一方で、いや、そうなんだけど、最低限の金なくちゃなどとぼやくこのくそったれのmy mouth!どっかいけ!と言う気持ちに。演劇が、もっと日常にばらまかれていたらいいのになー。

例えば、合コン行くでしょう。Stiff Little Fingersという話題で彼女できたハイ・フィデリティの店員みたいな話はないわけで、いや、日本だったら絶対ない。ないないない。去年埋めたどんぐりがない。ベルファスト出身のパンク・バンドで話が合うなんて絶対ない。況や、トム・ストパードで話が弾むなんて皆無。そうなったら、俺はギアを一個削らすか壊すかして、面白はずかし話なんかをする羽目になり、俺なんか今死んだ、と、玉音放送の前に泣き崩れる日本帝国国民が如き、空虚感に襲われるわけで、耐え難きを、ピエール瀧、養老の滝、キャー。

いや、もうね、パー子ですよ。キャーですよ。解説不可能ですよ、「キャー」。

「だから、言ってんだろ!合コンでは、ヲタクっぽい会話すんなって」
「ご、ごめん。でも、三国志の話題になったからさ」
「なってねぇよ。『そういえば、横山光輝も死んじゃったし』ってぼそっと言っただけだろ」
「ああ、そうそう」
「そうそう(曹操)って、ネタかっつーの。あと、なんだっけ?」
パンテラのダイムバッグダレルがライブ中に観客に銃殺って話?」
「ああ、それそれ。すげー暗い話だろ。出すなよ。女の子、『ふーん』って反応で、こっちが話題変えようとしてんのに、お前、パンテラの話ばっかしてたな」
「悪い悪い、衝撃的だったんだよ」
「お前の話題の食いつき方の方が衝撃的だったよ」

高校野球が終わると、夏が終わってしまった気がする。それは諦観だったり、後悔だったり、郷愁に似ていて、一瞬の楽しかった日々が、狂乱と熱気が、一気に遠のいて、完全な思い出になってしまう、夏に蓋がされてしまう、そんな悲しさであり、せつなさ。毎日に意味づけるとか、そういうのは良くないことですよ。苦しくなってしまうだろう、そんなの。でも、夏の終わりは最悪な気持ちになる。遠い先の絶望を見ている気がする。こうして、ぐたっと秋が来て、冬が来て、春がくるんだ、なんともつまらないですねと、絶望の希望的観測でいっぱいになるのがこの時期である。

衆議院選挙近いですが、あれでしょ?選挙って、「判断力低下した国民の皆々様、あなた方投票とかできますか?選挙とかできますか?投票所って知ってますか」っていう何年かに一度の国側の挑発であり、テストでしょ?既に。選ぶための行事っていうか、『寧ろ、選べますか?本当に』っていう話になってないか。そういった見方も既にマスコミの煽りの影響だったり。

ともあれ、いろいろな意味で国民の鏡ですね。

「ひどーい、さいてー」と拒絶する女子と、寧ろその台詞に興奮する男子。世界は馬鹿と最低の最小公倍数で満ち満ちているわけで、マイチャリンコが、ライト盗まれ、垣根に投げ捨てられるわけです。まぁ、どうでもいいんだけど。おでこの眼鏡ででこでこでこりーんしたら、もっさもっさ声の俺の自転車が泣いているだろうこと必至@ノンタック。

帰り、フルーツビア+チーズ@カフェ。イームズの椅子だけがどばっとあっても、誰もおらず。漏れだけ。しょうがないので、プロジェクターのカタログでも見る。やっぱ、ホームシアターは憧れですよねー。AVとかどう映るんでしょうか?ホームシアターで一人AVって孤独感すごいね。AVで「肌色が映えないよなー」とか熱心に語ってる映像オタとか、おめー強えぞ@オッスおら悟空。AVでAV。

マックでガレージバンド動かすも異音で落ちる。そんなぁ。PowerMac with Cinema Displayでやってみたいなぁ。

ああ、演劇!研究っつーか、実際doもできれば!同時にロック最高。ステージっつーか、MCつーか、寧ろクラブの雰囲気でも何でもいいから、音楽と演劇は全部最高!寧ろ、現場でやらせろ!演劇以外、無!マジで!そう説いたら、中学の俺だったらこう返す、「いや、ロック以外価値無し!」。どっちも最高だから、ロックと演劇以外は無ということで、折衷案!

エドワード・オールビー全集ゲット。やっぱ、演劇ですよ。くだをまいて、だだこねてる人々ですよ。いわば、「叫び」ですよ。叫び。叫び以外もう意味ない。真実はそこにしか宿らない。

ハピマンのべズですよ。べズ。ステージ上で踊る。それだけ。いわば、ピエール瀧ですよ。パフォーマンス。パフォーマンス重要。

演劇が好きだ。振り返るとそれは、小さい頃の劇場体験だったのではないか。子どもの頃、友達の家族とうちの家族で演劇をよく見に行った。千葉の会館まで。すごく楽しかった。その時の体験が今に根付いているのかも知れない。よし、俺もそういう感動を子ども達にもプロデュースしたい、と思っても、いざ、社会人になると、邪魔が入り、演劇から遠ざかり、忌野清志郎が、「金儲けのため〜に、生まれたんじゃないぜ〜」と言う一方で、いや、そうなんだけど、最低限の金なくちゃなどとぼやくこのくそったれのmy mouth!どっかいけ!と言う気持ちに。演劇が、もっと日常にばらまかれていたらいいのになー。

例えば、合コン行くでしょう。Stiff Little Fingersという話題で彼女できたハイ・フィデリティの店員みたいな話はないわけで、いや、日本だったら絶対ない。ないないない。去年埋めたどんぐりがない。ベルファスト出身のパンク・バンドで話が合うなんて絶対ない。況や、トム・ストパードで話が弾むなんて皆無。そうなったら、俺はギアを一個削らすか壊すかして、面白はずかし話なんかをする羽目になり、俺なんか今死んだ、と、玉音放送の前に泣き崩れる日本帝国国民が如き、空虚感に襲われるわけで、耐え難きを、ピエール瀧、養老の滝、キャー。

いや、もうね、パー子ですよ。キャーですよ。解説不可能ですよ、「キャー」。

「だから、言ってんだろ!合コンでは、ヲタクっぽい会話すんなって」
「ご、ごめん。でも、三国志の話題になったからさ」
「なってねぇよ。『そういえば、横山光輝も死んじゃったし』ってぼそっと言っただけだろ」
「ああ、そうそう」
「そうそう(曹操)って、ネタかっつーの。あと、なんだっけ?」
パンテラのダイムバッグダレルがライブ中に観客に銃殺って話?」
「ああ、それそれ。すげー暗い話だろ。出すなよ。女の子、『ふーん』って反応で、こっちが話題変えようとしてんのに、お前、パンテラの話ばっかしてたな」
「悪い悪い、衝撃的だったんだよ」
「お前の話題の食いつき方の方が衝撃的だったよ」

高校野球が終わると、夏が終わってしまった気がする。それは諦観だったり、後悔だったり、郷愁に似ていて、一瞬の楽しかった日々が、狂乱と熱気が、一気に遠のいて、完全な思い出になってしまう、夏に蓋がされてしまう、そんな悲しさであり、せつなさ。毎日に意味づけるとか、そういうのは良くないことですよ。苦しくなってしまうだろう、そんなの。でも、夏の終わりは最悪な気持ちになる。遠い先の絶望を見ている気がする。こうして、ぐたっと秋が来て、冬が来て、春がくるんだ、なんともつまらないですねと、絶望の希望的観測でいっぱいになるのがこの時期である。

衆議院選挙近いですが、あれでしょ?選挙って、「判断力低下した国民の皆々様、あなた方投票とかできますか?選挙とかできますか?投票所って知ってますか」っていう何年かに一度の国側の挑発であり、テストでしょ?既に。選ぶための行事っていうか、『寧ろ、選べますか?本当に』っていう話になってないか。そういった見方も既にマスコミの煽りの影響だったり。

ともあれ、いろいろな意味で国民の鏡ですね。