しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜

歩いていたら、突如として「しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜」という父なる神と精霊の喧嘩でもおっぱじまりそうな声、いや、言うなれば、下痢でも起こしそうな食い合わせの悪いのイメージのつながりは、私を過去へと導いたのでした。どこに?「去年の夏、突然に」。

アニメ。言うなれば、ピザ屋の出前と装ったメタル忍者。虚栄の市で虚人たちが、ピザ屋と言う名の振る舞いを、言うなれば、コスプレイヤーよろしく、社会における職業の振る舞いを嗜み、戯れ、演じているその姿。「しっぽの生えたメタル忍者」という形容は、実はイメージとして嗜むべきものではなく、寧ろ音のつながり「しっぽのはえためたるにんじゃ」という一連のverthの美しさを楽しむべきもので、やや口を斜めにしながらきざに言うのが、その本義であり、楽しむべき、詩的実践であったのだと気付くのに、10秒もかかってしまった。その行程にたどり着くまでの無数の、疑いと間違い。箱庭に閉じ込められたネズミのように俺はこの具象と抽象の巨大迷路を這いつくばりつつ、宙に浮きつつ、座標から座標へ「ある一定の面積」と言う名の幸福のスケールを保ちつつ軌跡を描いて動くだけの物体X。つまり俺ら。

「しっぽのはえためたるにんじゃ」という、人間の想像力と適当さを今ここでリアルに証明してしまった一連のこの表現は、その裏に何か神秘的で崇高で、孤高に全てを拒絶する、ストイックな性的魅力を内包するかのような印象を受けた。

自閉症気味の青年が俺の横を通り抜けた。「しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜」という言葉を残して。当時、随分と、奇妙な言葉だなと、俺は思った。しかし、それが彼の最期の言葉、人類に向けて言いたかったダイイングメッセージであったということに気付くのに、十年もかかってしまった。俺がその言葉が人類に対する特別なメッセージであったといういことに気付くまで、俺はその言葉を隠喩と考えたことはなかった。

しかしながら、冷静に考えてみると、この世界の真実とは、
全て「しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜」という言葉に示された一法則によって、構築されてきたものであったということを俺は知ってしまったのだ。

かくして、ロゴス中心主義を根底から揺るがすかのように、俺の世界理解は「しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜」という言葉の再分析から始まった。

歩いていたら、突如として「しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜」という父なる神と精霊の喧嘩でもおっぱじまりそうな声、いや、言うなれば、下痢でも起こしそうな食い合わせの悪いのイメージのつながりは、私を過去へと導いたのでした。どこに?「去年の夏、突然に」。

アニメ。言うなれば、ピザ屋の出前と装ったメタル忍者。虚栄の市で虚人たちが、ピザ屋と言う名の振る舞いを、言うなれば、コスプレイヤーよろしく、社会における職業の振る舞いを嗜み、戯れ、演じているその姿。「しっぽの生えたメタル忍者」という形容は、実はイメージとして嗜むべきものではなく、寧ろ音のつながり「しっぽのはえためたるにんじゃ」という一連のverthの美しさを楽しむべきもので、やや口を斜めにしながらきざに言うのが、その本義であり、楽しむべき、詩的実践であったのだと気付くのに、10秒もかかってしまった。その行程にたどり着くまでの無数の、疑いと間違い。箱庭に閉じ込められたネズミのように俺はこの具象と抽象の巨大迷路を這いつくばりつつ、宙に浮きつつ、座標から座標へ「ある一定の面積」と言う名の幸福のスケールを保ちつつ軌跡を描いて動くだけの物体X。つまり俺ら。

「しっぽのはえためたるにんじゃ」という、人間の想像力と適当さを今ここでリアルに証明してしまった一連のこの表現は、その裏に何か神秘的で崇高で、孤高に全てを拒絶する、ストイックな性的魅力を内包するかのような印象を受けた。

自閉症気味の青年が俺の横を通り抜けた。「しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜」という言葉を残して。当時、随分と、奇妙な言葉だなと、俺は思った。しかし、それが彼の最期の言葉、人類に向けて言いたかったダイイングメッセージであったということに気付くのに、十年もかかってしまった。俺がその言葉が人類に対する特別なメッセージであったといういことに気付くまで、俺はその言葉を隠喩と考えたことはなかった。

しかしながら、冷静に考えてみると、この世界の真実とは、
全て「しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜」という言葉に示された一法則によって、構築されてきたものであったということを俺は知ってしまったのだ。

かくして、ロゴス中心主義を根底から揺るがすかのように、俺の世界理解は「しっぽの生えたメ〜タル忍者だよ〜」という言葉の再分析から始まった。