最初が肝心。

先日の日記「ブルセラ女子高生は菩薩である」で、さんまのコミュニケーション能力の高さを評価した。で、最近、友人とそのことを話して、さんまが、押してすごいプロコミュニケーターであるなら、峰竜太は引いてすごいコミュニケーターであるとい結論になった。

峰、結構すごい。目立たなさがすごい。カモフラージュできる能力がすごい。昔、筋肉番付でもコメントしてたし、アドマチック天国でも、ニュースの解説までしてる。目立たなく、なんでもできる。和田アキコの番組で腰巾着しているじゃない。目立たなく、オールマイティ。目立たなく出れる、コメントできる。それもまた、適応性の高いコミュニケーターである。結構、稼いでるんだよな。

というわけで、二つのプロ、さんまと峰。

先日、飲み会で、先生と「初給料の使い道」の話になって、「最初の」給料に意味があるとの結論に。それをどう使うかが大事という話。家族のためとか。最初、重要と。

ここでとっさに、やはり「キスも始めてが肝心ですか」などとフランクに話題をふりたくなったけれども、言わなかった。なんか、最近、話題の振り方が変態っぽいんで。前からか。場が凍らないように、エロは控える!ジョジョ的に言えば、「だが、断る!」。

何事も最初が肝心であり、最初に意味がある。人類は差異に反応するし、意味とか求めちゃうから仕方ない。最初が肝要。対人関係然り。最初のキスや最初のデートや最初のセックス然り。最初のロマンチックは大事なのである。ごめん、こんなことしか考えてないです。

「キテレツ」で、はじめてのチューを歌っていた「あんしんパパ」なる御仁は、はじめてのチューで「涙が出ちゃう、男のくせに」などと歌っているけど、「はじめてチューできて、涙出るほど嬉しかったか!」と、そのうぶな前頭葉炸裂気味の童貞心に、飲み屋で同席せずとも、その肩を叩かずにはいられない。彼とは「桃園の誓い」できますね。

んー、だから、やっぱ、初めてがいいんだな。は、初めてが面白いんだな(山下清風)。

ここで一つ、エロの真理の一つを言ってしまいますが、「やーん、こんなのはじめてー」と女の子が言っているのを見るのは最高ではないですか?だから、毎回、「やーん、こんなのはじめてー」が良いんだけど、全ての物事は、一瞬でつまらなくなるから、その辺で何かしないとならぬ。

おぬし、テクニックを磨くか。それも良いじゃろう。だが、感動を維持し続けるには難しいじゃろうて。

前頭葉をほじくり返してでも、「はじめて」の感動のパイオニアにならねば、つまらなくなる。車、運転できた瞬間につまらなくなる、蹴上がり、できた瞬間つまらなくなる。次、次、となる。

今よりちょっと不自由だっただけなのが、ちょっと自由になって、「俺、解放!」とか思っちゃうのと同じに、「差がすごいほど、感じちゃう」のだったら、毎日「ペイチェック-消された記憶」或いは「メメント」して、記憶完全リカバリの毎日が新鮮、完全快楽享楽人生を歩みたいところです。でも、できない。とりあえず、恋愛の記憶はドライブRとかに入れられるようにして、ドライブRを消去すれば、昔の恋愛の記憶は戻らないみたいなのも面白いかもしんないけど、そういうわけにもいかない。ぬあー。世界史の年代は簡単に忘れられるんですけど!

思い出と慣習と経験と無様で何の変哲も面白みもない日常がどんどん心の隙間を埋めて、日常に生きるしかないから、しょうがなく今のこの場所を肯定するんじゃなくて、もっと積極的に「ここ」を肯定したい。強者だよ!強者!ここを肯定できるのが強者!

その第一歩として、世の男性諸君の妄想をかなえるためにも、女性は「やーん、こんなのはじめてー」を頻繁に言ってあげて頂きたく候。飯食う、「やーん、こんなの食べたのはじめてー」、車乗る、「やーん、こんなの乗ったのはじめてー(ありえないけど)」、映画観る・話す「やーん、こんな面白いのはじめてー、おもしろーい」・・・嘘でも言ってやってください。僕も一緒に言うので。「えー、こんなのはじめてー」。・・・なんか、男はつまんないね。馬鹿っぽいね。言わない方が良いね。

やっぱ、女の子の「やーん、こんなのはじめてー」だな。間違いない。

と、僕は、その飲み会で全然関係のない妄想をくり広げておりました。

先日の日記「ブルセラ女子高生は菩薩である」で、さんまのコミュニケーション能力の高さを評価した。で、最近、友人とそのことを話して、さんまが、押してすごいプロコミュニケーターであるなら、峰竜太は引いてすごいコミュニケーターであるとい結論になった。

峰、結構すごい。目立たなさがすごい。カモフラージュできる能力がすごい。昔、筋肉番付でもコメントしてたし、アドマチック天国でも、ニュースの解説までしてる。目立たなく、なんでもできる。和田アキコの番組で腰巾着しているじゃない。目立たなく、オールマイティ。目立たなく出れる、コメントできる。それもまた、適応性の高いコミュニケーターである。結構、稼いでるんだよな。

というわけで、二つのプロ、さんまと峰。

先日、飲み会で、先生と「初給料の使い道」の話になって、「最初の」給料に意味があるとの結論に。それをどう使うかが大事という話。家族のためとか。最初、重要と。

ここでとっさに、やはり「キスも始めてが肝心ですか」などとフランクに話題をふりたくなったけれども、言わなかった。なんか、最近、話題の振り方が変態っぽいんで。前からか。場が凍らないように、エロは控える!ジョジョ的に言えば、「だが、断る!」。

何事も最初が肝心であり、最初に意味がある。人類は差異に反応するし、意味とか求めちゃうから仕方ない。最初が肝要。対人関係然り。最初のキスや最初のデートや最初のセックス然り。最初のロマンチックは大事なのである。ごめん、こんなことしか考えてないです。

「キテレツ」で、はじめてのチューを歌っていた「あんしんパパ」なる御仁は、はじめてのチューで「涙が出ちゃう、男のくせに」などと歌っているけど、「はじめてチューできて、涙出るほど嬉しかったか!」と、そのうぶな前頭葉炸裂気味の童貞心に、飲み屋で同席せずとも、その肩を叩かずにはいられない。彼とは「桃園の誓い」できますね。

んー、だから、やっぱ、初めてがいいんだな。は、初めてが面白いんだな(山下清風)。

ここで一つ、エロの真理の一つを言ってしまいますが、「やーん、こんなのはじめてー」と女の子が言っているのを見るのは最高ではないですか?だから、毎回、「やーん、こんなのはじめてー」が良いんだけど、全ての物事は、一瞬でつまらなくなるから、その辺で何かしないとならぬ。

おぬし、テクニックを磨くか。それも良いじゃろう。だが、感動を維持し続けるには難しいじゃろうて。

前頭葉をほじくり返してでも、「はじめて」の感動のパイオニアにならねば、つまらなくなる。車、運転できた瞬間につまらなくなる、蹴上がり、できた瞬間つまらなくなる。次、次、となる。

今よりちょっと不自由だっただけなのが、ちょっと自由になって、「俺、解放!」とか思っちゃうのと同じに、「差がすごいほど、感じちゃう」のだったら、毎日「ペイチェック-消された記憶」或いは「メメント」して、記憶完全リカバリの毎日が新鮮、完全快楽享楽人生を歩みたいところです。でも、できない。とりあえず、恋愛の記憶はドライブRとかに入れられるようにして、ドライブRを消去すれば、昔の恋愛の記憶は戻らないみたいなのも面白いかもしんないけど、そういうわけにもいかない。ぬあー。世界史の年代は簡単に忘れられるんですけど!

思い出と慣習と経験と無様で何の変哲も面白みもない日常がどんどん心の隙間を埋めて、日常に生きるしかないから、しょうがなく今のこの場所を肯定するんじゃなくて、もっと積極的に「ここ」を肯定したい。強者だよ!強者!ここを肯定できるのが強者!

その第一歩として、世の男性諸君の妄想をかなえるためにも、女性は「やーん、こんなのはじめてー」を頻繁に言ってあげて頂きたく候。飯食う、「やーん、こんなの食べたのはじめてー」、車乗る、「やーん、こんなの乗ったのはじめてー(ありえないけど)」、映画観る・話す「やーん、こんな面白いのはじめてー、おもしろーい」・・・嘘でも言ってやってください。僕も一緒に言うので。「えー、こんなのはじめてー」。・・・なんか、男はつまんないね。馬鹿っぽいね。言わない方が良いね。

やっぱ、女の子の「やーん、こんなのはじめてー」だな。間違いない。

と、僕は、その飲み会で全然関係のない妄想をくり広げておりました。