小堺一機進行役の「わが町」最高だった

オールビーの作品で、人種差別を描いた作品。実に地味。オールビーの作品は苦手だ。結局、「動物園物語」も「ヴァージニアウルフなんか怖くない」も作品の冗長性だけを感じてしまい、何を言いたいのかさっぱり分からなかった。

何故、この作品を読んだかといえば、ベシー・スミスのCDを買ったということもあるけども、ある先生が静岡で上演したこの作品の解説を書いていたのを見つけたからで、実際どうなのかその辺を確かめるために読んだ。解説よりも、肝心の作品自体のおもろさは全く伝わってこない。黒人だからという理由で病院をたらい回しにされて死んだという話。マイケル・ムーアのシッコには、未保険加入者でそんな体験談があったと思う。ベシー・スミスの死が象徴的であるということ。

ともあれ、木曜日にチェーホフを見てくる。
今後の予定
2月David Mamet
3月松田正隆、永井愛、アイルランドの劇作家いくつか
4月キャリル・チャーチル

ただ「5年後のタモリだったら」という望みもある。タモリがあの役をやったらすごいと思う。いつもはふざけている印象のタモリに最後のあの台詞を語って欲しい。

「わが町」、4年ぶりくらいに演劇で感動した。汚いけど、マフラーが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになるほど泣いてしまった。ちなみに、4年前に感動したのはTPTでやったJohn ByrneのSlab Boys。

本当にいい作品である。ただ、よりよく生きている人、幸福な人にとっては死後から現世の思い返しが辛いのだろうが、現世って地獄じゃね?って人にとっては現世なんて思い返したくもないってところなんだろうと、いささかひねくれた視点を持ってしまった。

この作品が言いたいのは、「生きるってすごい大変で、どうしようもないよね」ってこと。「しょうがないよね」というか「今を生きろ」ということでもある。昔は今と違って、些細な理由で死んだ。肺炎でも盲腸でも死んだ。些細とは言えないが戦争でもよく死んだし、お産でだって死んだ。発展途上国ならそのリスクは今も変わらない。その場合の「生」は輝いていたろう。現代は、極端だが、植物人間になって意識もない状態でも「生かされる」という状況だってある。たった100年でそんな風に「生」の輝かしさが失われるなんて、いや、それは科学の力で発展したからこそだ、と言えのかも知れないが。

この劇の中で実に効果的に使われているのが、舞台装置のなさ、情景の取り出し方、過去の記憶。オリジナルにはないけど、ピアノも良かった。

特によかった俳優は、小堺一機、エミリー役、エミリーの母役、墓地管理人。エミリーの役の人は才能がある。あとエミリーの母役は素直に上手い。墓地管理人のおじいさんはもはや演技かそうじゃないかの境目さえ分からないくらいになりきっていて別の意味ですごい。斉藤ゆきは普通な演技。

3幕で「生前パリに行きたかった夢」が死後、夢でも実現される、という別の展開も一瞬考えた。結局、彼女がパリにも行けなかったということに対して、ジョージの父はどう思ったろうか。