けしからんの意味が

要はエロいってことになっているようで。ともあれ、意味なんぞどうでもええ。。。

テネシー・ウィリアムスの戯曲読んだり。人生オワタ\(^o^)/な内容が素敵。読後、あのおばあさんはその後どうなったんだろうとか考えるのが良いっすよね。。。って俺だけか。。。以前合コンっぽいアレのときに、なんかの弾みで「読書の後でその話のその後を考えるのがおもろい」とか言ったら「え?それっておもろいの?」って具合にすげーしらけたしな。じゃぁ、何かてめーら小説読んだら、あーおもしろかったで終わりなのかボケがと言いたい気持ちを抑えて、「そんなおもしろくないよ」って修正したら「ズコー」だろうな、ああ、なんか俺死んだ、空気読んだおかげで自分に嘘ついた、と自己嫌悪になるくらいなら、人生一回きりだし俺は俺だ「おもろいよ」って目を輝かせて言おうと思ったら「お、おも」話題は変わってた、「お、おま」、よくよく聞けば、なんだ、自分がSっぽいだMっぽいだの話?どーでもええー。「皆からはちょっと変わっているって言われるんですけど〜」とかまさかのM宣言とかどーでもええー、まじどーでもええー、その白いブラウスにスパゲッティの汁ついてくれ、かつそれを恥ずかしそうに拭ってくれ。。。Mっぽいかどうか判断するのは他者であって。。。

神田でかつお丼を食す。そんな美味くはない。その後、高島屋ブラブラ。財布欲しい。その後、帰郷。アンダーワールドマイブラッディバレンタインを爆音で聞いた。電車内でアンダーワールドがすごくよく聞こえるのはなぜだろう。

模様替え
最終的に絵とかテレビを部屋から追い出した。最近は冷蔵庫すら必要性を感じなくなっている(冷蔵庫にいれるほど買わない)。だから、なんだって感じですが。ミルクパン(っていうの?小さい鍋)一つで事足りてる。絵は、絵は要らんなぁ。そもそも絵に対して何も思わなくなっている。現代アートもよくわからない。村上隆も嫌だ。どこの展覧会か美術館か忘れたけど、20世紀のアートで黒一色とか白一色とかあるいは□一つとかで作品ってのがあった。ブルータスでもなんかそんな特集あったな、「アートスクールコンフィデンシャル」でいうところの、三角の絵にこだわる先生というか。ああいうのもまずよくわからない。よくわからない上にその抽象主義みたいな時流がもう過ぎ去っているというのもなんか分からない。いや、わからないんですよね。もう何もかもが。白一色とかさ、黒一色とか、青一色とか出されて「ふむふむそうだ」とかなしで、何も思わなくなっている。結局飾るよりも、真っ白の壁とか生の金属の壁とかそういうのがかっこいい気がする。絵が絵を脱構築しているのだろうか。絵が絵であることを一度否定して、それでも絵であるということを表明できるもんって何だ?対立項や比較対象があるのかな。よくわからない。今、自分の部屋は本、雑誌、CDでまみれてるせいもあるけど、シンプルがかっこよく見えるなぁ。

OS X Leopard
ダメもとでCPUの足りない昔のマックに入れようとしたら、ダメだった。潔くpowerbookに入れよう。あとはこれでtime capsuleを買ってairゲットかなぁ。

ドンキホーテ
行った。キャバっぽい娘にブランドバック買っている屈強な地元青年団の方々の背伸びというデジャブ。しばしばアウトローと見られている暴力なる団の方々ですら、内部ルールは厳格に守っていたりするから、寧ろそこら辺のリーマンの方が故意でなくアウト気味にローしてるんでないかとすら思う。ルールを知ってて破っている人と、ルールすら知覚せずに破っているという人なら、当人の故意がその罪の争点になるのかもしれないけど、ルールすら知覚していない人ってすごい。本物のアウトローは自分がアウトにローしているとか思っていないと思う。アウトにローしたいとも思っていないんだろう。自然にアウトしてたんだろうな。
レジの前の人はコスプレ服3万ほど買っていた。仕事っすか?大変だなぁ。マンションのごみ捨て場とかにコスプレ服とか燃えるゴミの半透明なのに入ってるとびびるね。事件性を感じる。