芦屋タカトラ

貪った惰眠の後、サンデープロジェクトを見ると実家の朝を思い出す。大抵、田原総一朗が強引にゲストの話を遮る頃、目覚めのスイッチが入る。朝からハイテンションに敵と戦って、最後はロボットで悪の軍団と懲らしめるのも目覚めのスイッチとしては奇妙だ。できれば、題名のない音楽会のような「題名もないんだったら、その集まりは何よ?」とつっこみたくても、番組の歴史が長過ぎて誰もつっこめないような存在感の番組が奏でる音という非言語な響きを聞いてスイッチを入れたいのに、中島義道も軽蔑必至の老人の怒号で目覚めるこの不愉快さ。最近、何もかも虚しく映る。それは結局「出せる範囲」のテレビ討論で、雑誌対談もそれは「出せる範囲」での内容または嘘で、もっと深いところで実は邪悪な流れが蜷局を巻いて蠢いているのだろうと思うと、何もかも虚しく映る。いや、もうコミュニケーション自体が「出せる範囲」のものしかそこには表現されていないのではないではないか。いきなり、「赤ちゃんプレイが好きなんですよ!(超笑顔で)」ってカミングアウト後、おもむろに赤ちゃんプレイの状況に、というケースは、ない。そんなエス、自我、超自我全開なパターンはないわけで。それでしゃあしゃあと本音で話せる間柄だの、裸の付き合いだの・・・まぁ、いいやこんなことは。中学生みたいだ。ルサンチマンだ。ルサンチマン炸裂男だ。卑屈な思いだ。同時に、見えざる邪悪を知り得ない俺の無知が嫌になる。知りうるところまで到達できていない無力感。でも、知って後悔するなら、知りたくもないという複雑な自分が嫌い。まさにプラトンの洞窟の比喩。現代では、多く複写された価値を真実と言う。むかつくことが多すぎる。社会人になったら、むかつかなくて済むかもと思ったが、加速的、乗算的にむかつくことだらけで、偏狭な小生にはもうそのむかつきを入れるキャパがない。たまるばかりのむかつき。10年越しのむかつきなんか良い感じに下の方で発酵して、芳醇まろやかなカオス。

日曜
スロースタートだった。とことん掃除をした。雑誌の量がテラヤバス。全く読めてないから、捨てられずに残っている。年末年始にゴロ読みかなぁ。普通に1、2年前のが出てくる。でも、そういうのも平気で読めるからなぁ。人から借りたゲームもできていない。PowerBookの横に山崎のボトルとかその裏にみかんとかその裏にカメラとかCD どばっと本どばっとあって、もう何が何だか足の踏み場もなければ、コンロの上の鍋の置き場もないから、もう鍋とか仕舞ってるし、今、目の前にはCD、本、紙(雑誌記事)、段ボールとかの中に請求書だの大事なのが挟まってる。必死になんとかしたら、狭いのでなんとかなった。
夕方、神保町へ。サブカル系の古本でもと行ったのだけど、結局何も買わず。馬鹿かとアホかと。動物の図鑑が結構おもろかった。26歳の発言とは思えない。CD屋を見て、未だに買えていないアルバムを「あ」と気付くとぼけ具合。夕飯後、andonand。神保町の店舗は鏡の効果で店舗が大きく見える。内装GJ。ドーナツは普通。その後、丸ビルの芦屋タカトラでシュークリーム。小生はビアード・パパの方が好きですが。。。

本谷有希子の新しい舞台のチケットゲット。タイトルは「偏路」。どうやら夢破れた若者を描くらしい。「江利子と絶対」は妹がおかしかったパターン、「腑抜け(以下略)」は姉と妹がおかしかったパターン、となったら、今作は???楽しみだ。「腑抜け」で上京する勘違い女とその一時帰省を、そして今回で都落ちした若者を描くということかな。だとしたら、それは「腑抜け」から続いている話ということだろうか。ともあれ、本谷タソ応援してるおハァハァと言うのを禁じ得ない。今、日本で一番優れている劇作家だと思うなぁ。