トフィーナッツラテ

ねずみ講?高校時代の友人がハマってた。もう会う事はないだろう。

大学時代の友人と有楽町のガード下で飲む。結構奥まったところにある飲み屋。仕事の話とかする。社外でも通用する人間になって儲けようぜ!って話をした。熱くなった。寧ろ、上手くいかなさこそグレート。ハングリー精神、その延長で言えば童貞力も否定できない雑草魂であって。竹内久美子的に言えば、「発明家や天才は食事のまずいところでよく生まれる」というか、なんというか。充足した途端、守りに入る。それも悪くないが、欲求不満な人間こそクリエイティブになれる。創造性とは、この瞬間への疑問から生まれる。進展しない議論だなー。

スタバのカップがクリスマスな装いになってる。明日はチョコレートミントモカ飲みたいのぅと、見事にキャンペーンの術中にはまりつつ。

ショパンノクターンの始まりとマイウェイの始まりは、「ソ・ミ」で一緒だ。ソ・ミって入り方は美しい気がする。なんとなく。

月曜
表参道。洗顔料を買った。

火曜/水曜
ハングル語全然うまくならねぇ。

ウディ・アレンsaid「時おり人生で失敗しなかったら、それはあなたが革新的なことをしていないという証拠だ。」名言。最近、仕事がスムーズである。それは全然革新的ではないということでもある。退屈は死だ。毎日、脳みそぐちゃぐちゃになりそうな多忙もまた心地よかったりする。今の仕事がやや専門的なところもあって、ここまでやったらOKだといった資格的な指針がない。強いて言えば、英検やTOEIC第二外国語なのかも知れない。簿記とか情報処理技術者とか技能的な資格に囲まれている仕事がイメージつかないのでなんともいえないけども、今の自分が昨日より明らかに成長しているとかそういった実感を日々掴めるということは良い事だと思う。営業でこれだけ契約とりましたとかそういう数字的なもんでも良いとは思うんですけど、社内だけでなく社外と比較しても優れているという部分が実感できれば何よりだろうなぁ。どうも視野が狭くなる。社内では負けねー的な井の中の蛙。それじゃあかんのだと思う。この瞬間も、世界は異種格闘技戦であって、どこぞの馬の骨といきなりビジネスの場にたって、一瞬で空気読んで営業できるか的なアレであり、スキル以上の人間的な成長が大事だ。「知識があります、そうですか」であって、時に厚かましく、時に優雅に、時に工夫できるパフォーマンス。言っていることが抽象的になってまいりました。。。自分を見失わずに、同時に世界を見失わずにいたい。