taking back sunday

銀座のスタバで読んだ。話がシンプルすぎて、稚拙な印象を受けるが、この劇が示唆するところは稚拙でもない。男女がゴミ集積場にやってくる。セックルする予定もあったっぽいが、何もかも嫌になった2人がいろいろ捨てるゲーム、いろいろぶっちゃけるゲームをする。ゴミ集積所には、ねずみがいっぱいいて、男はねずみを撃ち殺すのが楽しいので、ばんばんネズミを撃つ。撃たれるのは観客。客席に向かっていろんなねずみがいるなぁと撃ちまくる。で、いろいろ脱ぎ捨てる。見栄えをよくするカツラ、差し歯、化粧品から思い出の写真、食べ物からメモ、なんでも捨てた。で、衣服も捨てようという話になり、衣服を脱ぎ捨て、セックルみたいな。で、2人が撃たれる。2人の男が出てきて、「なんか人間みたいなネズミがいたっすよ」と。「おまん、アホかと馬鹿かと」。終幕。

台詞にもあるが、俺らを構成しているのはゴミだと。クソだと。うんこだと。とにかく力説する。誰かをだます使い捨てのなんかを被って他人を欺いて、ゴミに集まって、廃棄/排泄して、セックルして、俺ら人間かネズミかどうなんだということでしょうか?

皮肉が強い趣味の悪い劇である。でも、もう少しひねりが加えられているともっとえがったのでは?と。

でも、中身はthe smithsのことを。

I decree today that life is simply taking and not giving
(still illより)
僕は今日判決を下す。人生はただ持って行かれるばかりで何も与えられはしないということを

  • uqt-

コアである。この始まり方は、日々の応援歌になっている。rankのライブのstill illはすごい。シンプルにすごい。ぐっちゃぐっちゃという不安なリズムから一気にメロディに入るあの感じ。オリジナルより早くて、時々、モリッシーの怒りにも思える「コブシ」。最後に奇声を発するのも良い。寧ろ、こんな世の中なら、病んだ人こそ正常な感覚の持ち主とも言えまいか?或いは、病みの拡大解釈によって多くの人が洗脳的に病人と認定されているんだ。利益のための都合として。

以下、Heaven knows I'm miserable nowの全文日本語訳。

QTE

酒が入ってほろ酔い気分を楽しんでいた
でも今は恐ろしく惨めなオレ

職を捜して、やっと見つけた
それで今は恐ろしく惨めなオレ

俺の人生の
貴重な時間をなんで 俺がくたばろうがどうしようが
いっこうにかまわない奴等のために、費やさなければならないのかい?

恋人達が、肩を寄添いながら、オレの横を通り過ぎて行った
それで今は恐ろしく惨めなオレ

職を捜して、やっと見つけた
それで今は恐ろしく惨めなオレ

オレの人生の
貴重な時間を、なんでオレがくたばろうがどうしようが
いっこうにかまわない奴等のために、費やさなければならないのかい

一日の終りに、小言を言われた
カリギュラでさえ、オレを恥じるって

「おまえは、家でごろごろし過ぎる」 って
当然家を出た

オレの人生
顔面に蹴りを入れてやりたい奴に
なんで愛想を振り撒かなきゃいけないんだい?

酒が入ってほろ酔い気分を楽しんでいた
でも今は恐ろしく惨めなオレ

「おまえは、家でごろごろし過ぎる」 だって
それで、当然家を出た

オレの人生の
貴重な時間を、なんでオレがくたばろうがどうしようが
いっこうにかまわない奴等のために、費やさなければならないのかい

=UQT=

こういう歌こそオリコン1位になるべきであるのに、なんだ、あれか、憂う、怒る、叫ぶはprohibitされて、愛だの哀だのバラードか。何故、クソな時間を費やさねばいけないのか、何故、クソに愛想笑いしなくちゃならんのか、といった根源的な疑問は黙殺されて、「買える」快楽や楽しみで充足し、その欲求不満にふたをすると。absolutelyに、shitである。要領よく演技できず、愛想笑いもできない。それが悪か?否。怒りや不満も悪か?否。或いはそういった事象をしたためることも悪か?文句は悪か?憂鬱は悪か?否、否、否!

・・・読み返すと、つくづくモテない人が言いそうなことであるなぁと。いつものことですが。。。