『埋められた子供』

劇として、名作だが、今回は演出が良くなかった。以下、理由。

<独特の発声>
activeに「言葉」そのものから表現したいという意図も汲み取れるが、なんつーか、台詞の強弱がありすぎる。能みたいになってる。聞き取りづらい。いや、分かるよ。言葉と身体で表現したいっていう意図は。でも、やりすぎだろう。岡田利規だって、台詞はもっときちんと言わせてると思う。聞き取れる台詞って大事だと思った。腹式呼吸

あと、演出家が判断したと思われる印象的なシーンと省きたいシーンの差が激しい。省かれつつあるシーンは、早口だったり、言葉の高低が著しく変わるようなしゃべり方。冒頭のドッジとハリーの会話、聞き取り辛く、何言ってるかわからない。音楽はえがった。合ってた。

<舞台セットがいくない>
配置について。子供を埋めた大地、家の中、二階とその辺は境目をもっとはっきりと観客に分かるように作った方が絶対良かったと思う。フロントガラスを見るシーンもあやふや。

悪い点。床がぐちゃぐちゃしすぎ。小さな丸太が転がってて、こけやすい。というか、こけてる。それが意図なのか(混沌とした感じを全体的に現したかったとか?)どうなのかも不明瞭。ハイヒールのシェリー役の人や片足のブラッドレーなんか、足場が不安定すぎて寧ろ客が心配しちゃう。酒、とうもろこし、人参、人参を切ったナイフ、全部置き方が汚く、危ない。全部、床に転がってる。この演出、本当にどうにかならなかったのだろうか。

加えて、最後ヴィンスがナイフで壁を切り裂いて家に入ってくるシーンがあって、危なく見えた。また、シェリーが人参を切るシーンで役者の人が、危ない切り方をする。役者同士の間合いも狭い中でナイフで人参を素早くずばずば切るから、指切りそうで心配。あれ何度かやったら、いつか事故るんじゃないか。階段も急だ。ともあれ、観客に役者の安全を心配をさせる演出はダメ。あと、どーでもいいが、シェリー役の人の腹の肉が気になった。

<配置と役>
客に背中を見せ過ぎる。これもどうにかならなかったか。あと役者が足りなかったのかなんだかよく分かりませんが、後半、女の人がティルデンを演じたり、その人がハリーだったり、冒頭のドッジの人がヴィンスだったりものすごい混乱を招く設定。ハリーがティルデンだったりハリーになったりするって、ありえない。やはり混乱を招く配役はやめるべきだ。素直に劇を楽しみたいファンとしては、特別な意図がなければ、やはり一人一役な設定で見たいものです。

それにキャスティングは、もう少し考えようもあった。皆、若いんですよ。あまり演技の上手い下手は言いたくないが、全然年老いた人の演技に見えなかった。わがままを言えば、年配の人もキャスティングできる力強さがあったら、もっと良かった。

以上、劇としては基本的な部分を指摘したように思う。1に聞き取りやすい台詞、2に安全性、3に理解しやすい舞台装置、4に的確な配役。山田恵理香と劇団GIGA、ものすごく評価低いです。意図は分からなくもない。要は、名作を料理するのに、正攻法やらフツーな感じではやりたくない、奇をてらいたいという思い。でも、それも裏目に出たかなという気がする。本当に名作なだけに残念である。「ベシー・スミスの死」も見れればなぁ。。。でも、遠いけど良い施設だった。満足。

帰りに時間があったので、静岡の駅ビルや駅前を探検してみた。31のアイスがおいしそうだったので、女子にまぎれて野郎一人アイスを食う図の異様。カツサンドを食いながら、新幹線で読んでおきたかった仕事の書類を読んでると、自分が大人になった感じがした。大人ですが。。。