Elfriede Jelinek ”Macht nichts”

谷川道子てんてーが、現代演劇の場で言葉の強度を問うならば、ミュラーとイェリネクは双璧などと評しておられたし、イェリネクは、ノーベル賞作家でもある。「よっしゃ、見たるわー、かかってこいやー」と意気込んで、何もかも断って、仕事も切り上げてドラマリーディングに行ったわけだが、あかんかった。
先ず、おもろない。難しすぎる。わけ分からなさすぎる。高尚すぎる。劇というか、言葉の連想ゲーム。普通に寝てしまった。多義的な解釈を可能とさせるという意味で、ポストドラマ的とか評されているようだが、何がポストなのかとすら思わせる意味ではポストポストドラマかも知れない。いや、ポストポストポストかも知れない。実はポストであったのかも知れない。僕らが演劇と呼んでいたそれは。そんな感じだ。

劇後のトークで、うずめ劇場主宰で演出家のペーター・ゲスナー氏がドイツのHRバンド「ラムシュタイン」が好きとかそういう情報の方がおもろかった。論創社にて、「ドイツ現代戯曲選」ってシリーズが刊行されており、ファスビンダー、ボート・シュトラウス、ルネ・ポレシュ、マイエンブルク、バウアージーマなどが読める。一つが千円以上するので、全作集めるのには、経済的に辛いですが、かなり貴重で興味深いコレクションだと思います。

院生か独文科か演劇好きか分からないが、めがね文科系女子風も少ないながらいた。終演後、

「なんか、不条理劇とか哲学とか好きな人は好きかもしれないけど、よくわかんない作品でー」

とか携帯報告。話せる相手がいていいなぁ。
台詞が長くて、独白っぽくて、かみ合ってないのよ。かみ合ってないとは、つまり、かみ合っているということではないということなんだね、とかそんな感じに聞こえてしまうのですよ。ともあれ、むずい劇。