ここぞとばかりに代休申請→部内の人ほとんど出張となる→何故か居心

月曜日
初回授業で地震発生。とらない授業に出席して自己紹介。とるつもりはないので、そこを含めての自己紹介。逆にマークされたような気がする。
18:30 大衆演劇の授業。これもとらないのにガイダンスだけ出席。でも、いつものメンバーだった。
19:30 ラボ。大学生と一緒に会社訪問をする計画を立てる。月曜集まりとなる模様なので、参加できないがサポートメンバー。遅くなってしまったので、浅草泊。

火曜日
下北「楽園」で楠美津香「超訳ハムレット」をマチネで観る。良かった。食わず嫌いというやつである。もっと前から観とけば良かったと後悔した。少なくとも、蜷川幸雄演出、藤原竜也主演のシアターコクーンでやった2003年のハムレットよりは素晴らしい。ハムレットはやはりやさぐれバカ的な若者を使うべきである。できることなら本物の不器用な若者がいい。

ハムレット」とは何か。それは演劇ファンからすれば、ロックにおけるビートルズというか、パンクにおけるピストルズといった、体験せずには、避けては通れぬ課題と言える。シェイクスピアがすごいのは、この現代に当時の劇を通用させている点。これはすごいよ。我々がこの劇で直面する人間の本質とは客としての神的な視点のおかしさと先天的覗き見趣味である。まず、この劇で多いのが罠、あとその策略。客は誰が何を企てて、誰をぶっ潰そうとしているのか知ることとなるが、その開示が徹底されている。また、人間は本当のことを知りたいという好奇心があるが、それは覗き見趣味的なものだということ。

また、この劇のクライマックスは外部の軍隊が出てくるのだが、その虚しさたるや。権力闘争の果ての殺し合い。弱った国に外国から軍隊がせめてきたら、すぐ乗っ取られてしまうんだろうな。自分ならクライマックスに戦争を入れたい。あのような殺し合いの中、非常事態、戦争か災害かそういったことが起こって、国そのものがなくなるというところまで描きたい。

その後、授業。出席者一人。。。

それでも有給と代休で2日連続休む俺の強心臓及び空気読まない感じをこれからも大切にしていきたい。

就活ラボなる企画を手伝っている。シューカツと言えば、小生がある会社で採用されなかった時、「何で落とした」と聞きにいったエピソードである。正直、今思うと、ほんのちょっぴりだけ(?)おかしいが、こんなやりとりだった。

「採用について教えて下さい」
「あいにく、○○は席を外しておりまして」
「では、何時頃、席に戻られますか?」
「ちょっと分からないんですよ」
「では、待ちます。時間ありますので、外で待ってます」
「そうですか」
春だったが、外は風が強くて寒かった。しばらくして担当の人がやってきて、担当が戻りましたというアナウンスがあって、中にいれてもらった。誰も出入りした形跡はなかったが。ともあれ、担当の上の部長と面会。お茶が出たかどうかは覚えていない。おそらく出なかったように思う。単刀直入に、何で落とした?何がダメだったのかと聞くと、うーん、などと唸って「今回はあなたの適性に向くような配属ではないだろうと思った」などと言うので、「30分にも満たない面接で私の何が分かるのでしょうか」と聞くと、相手は黙った。しばらく間があって、何がダメでしたか?と聞くとまた、うーんなどと言う。

とまぁこういうやり取りがあったのだけど、あの後噂になったろうなぁ、、、いや、でもいいんだ、納得すれば。結局、何が悪いのか教えてもらえず、帰った。家族が「どうだった?」と聞くので(家族の「自分の何が悪いのか分からないで就職活動しているなんて馬鹿げてる。どこが悪いかきいてこい」というアドバイスにより、それももっともだなと思って聞きにいった)、良く分からなかった、と答えると、じゃぁ次は「人を判断する仕事をしているなら、理由ぐらい答えてみろ」と怒ってこい、と。凱旋車も用意しろとまでは言わなかったが、家族は俺の状況を楽しんでいるように見えた。

俺が成功したらこの会社は永久に取引停止でぶっつぶしてやる、上場廃止に追い込んでやる、という固い決意で逆に生きる喜びを得て、不買運動と辛辣な口コミを続ける俺は、そのバイタリティを何故面接で生かせなかったのか逆に疑問だったが、シューカツとはそもそも、そのように不自由な制度ということはただ分かった。