観劇/授業開始

まずは観劇レポート

3/26
松田正隆「冬の旅」@川崎市アートセンター
つまらない。よく分からない。寝てしまった。劇場は素晴らしい。

4/3
キャリル・チャーチル「トップ・ガールズ」@シアターコクーン
かなり良かった。俳優、演出、効果、どれも秀逸。小泉今日子が思いの他、上手くてびっくりした。最初はきっとどこか違和感があるのだろうと否定的な見方をしてしまったが、80年代という時代の表象に80年代にアイドルであった彼女が演じるバリキャリOLの雰囲気は違和感がなかった。その時代の匂いというか生きた生の感覚とでもいうか、そういったものを彼女が体現した、という言い方がいいのか良く分からない。肩パッド的なジャケット、女性進出の時代である。麻美れいは本当に流石だと思う。あのマーリーンの姉の演技は演出家の指示だけで、出せるような技巧ではない。そこにはきっと彼女の補完する想像力が充分に働いていたと思う。俳優の本質的なところにフォーカスされてしまうが、「その人にしかできない」ものがそこにあった。あえて言えば、鈴木杏だけ演技が今ひとつである。渡辺えりは安定感のある上手さであり、舞台もやってコメンテーターもやるってすごいと思った。
この劇は非常によく練られた、そして詰め込まれた劇である。女性、政治という大枠のキーワードがある中で、その奥には家族、弱者、権力という緻密な問題が詰め込まれている。歴史を通してそれらの問題は立体的になる。

この劇の言いたい事はおそらくこのようなことである。歴史を通して、女性は虐げられてきたし、その役割というのは大きく変わらなかった。歴史を振り返っても、秀才であったり、美しかったり、或いは自分の力で切り開いた女性もいて、そういった役割を変えようとした女性もいる。女性が図書館にも入れなかった時代からすれば、女性の社会進出は進んだし、男性に近い地位を得られるようになったことも確か。ただし、人の幸せは人それぞれ。宗教に近いもの。ここまでがマーリーンの夢の話。
現実には彼女は男性より出世し専務になるほどのキャリアウーマン。女性向け人材派遣業という業種は、女性を査定し、経験、希望、年齢、資格で優劣をつける業種である。結婚や女性の社会進出が認められていない風潮もある中で女性が仕事を見つけるのは大変。つまりは多くのしがらみがある。
彼女自身も多くのしがらみを持っていたが、そういったものから逃れるように彼女は上京し、家族を捨てた。年老いた母の世話は姉に任せ、自分の娘も、、、
といった話である。ゾクゾクするほどの面白さは後半。自分だったら最後はオフィスで幕を下ろしたい。何気ない日常か、愛想笑いのようなシーンで閉じたい。だが、あの終わり方も最高である。
後半になると、労働者階級の話も出てくるし、サッチャー批判も出てくる。スミスの「マーガレットオンザギロチン」を久々に聞きたくなる程だ。
この劇の醍醐味はやはり、冒頭の夢だろう。人間の営みや感覚というのはそうそう変わるものではない。歴史の導入によって、立体的なインパクトを感じる。二十一世紀から見てもこの劇のメッセージ性は色褪せない。二十世紀はそのようなしがらみに気付かされため息を漏らした時代、二十一世紀はそのようなしがらみを技術的に解決していこうとする時代だと思いたい。

2日
09:30 神田
12:00 新橋
12:30~21:30 表参道
浅草泊。

3日
朝、ドーナツ。昼、サブウェイ。展覧会行って演劇観た。渋谷を、青春の場所と思えるようになるのには随分時間がかかるように思う。あまりに記号的で、ごちゃごちゃと忙しいから、浸ったり溺れる時間もない。

4日
仕事を終わらせ、学生証更新書類配布など。その後、セキュリティーソフトなど入れる。研究室で同級生と待ち合わせし、下記の店で食事。
ttp://r.tabelog.com/tokyo/A1306/A130602/13029638/
というか、遅れた誕生日祝い。モヒートうまし。帰りに急激に体調が悪くなり、眠くて馬喰町泊。その体調悪化の原因として気付いたのだけど、クロスウォーカーという下着だ。締め付けるから体調悪くなったっぽい。

5日
水道橋の伝説のスタ丼屋でピーマンが入った丼。ピーマン入るとうまし。

6日
通勤途中で、経済学の本をamazonで買った。会社を終えて、新橋寄って、かつ屋で野菜炒めのっかったカツ丼。通勤用にニューバランスの靴買って、研究室へ行き同級生と会って、図書館は閉まっていたので、普通に帰った。

7日
仕事が急激に落ち着いてきているが、ドトールでプライベートなメールを処理。