ヒメアノ〜ルの終わり方

あれは、ひどい。2chでは、退屈な日々を暮らす若者、何故かそこに魅力を感じるスタイルが良い美人、ギャグ要員、頭のおかしい犯罪者の4人を出して、彼らをひっかき回して、あとは読者が勝手に解釈すれば成功、という書き込みがあったけど、まさにその通り。後半は森田ショーというか、殺しまくるだけの漫画になっている。いっそ、ノー・カントリーでハビエル・バルデムが演じたアントン・シガーな終わり方でも良かったのではないか。わけの分からない化物が日常の至る所にいるというヒミズ以降のあれが出るとああ、古谷先生やばいんかなぁっていう。

文学部的価値観について秀逸なエントリー
ttp://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1386.html
^ 引用開始 ^
 文学部というのはカネや安定に価値をおくことなんてまずなく、カネがなく不幸で転落して、ダメな人生を生きることに価値をおく。文学部なんて小説でも書かないかぎりそれでビジネスで成功したりカネが儲かるという栄光からほど遠いものである。はっきりいえば挫折と転落と、凋落を糧に文学部的価値観は躍進する。文学部は職を転々として、女にだまされ、借金をつみかさね、悔恨や後悔でいっぱいの人生や精神に価値や憧れをおくものだ。いわば失敗した人生に憧憬と崇高をみるのだ。経済学部的価値観が転倒したものだといえるだろう。
^ 引用終り ^
笑った。というか、文学部的な価値観というかメンタリティはよく分かる。苦しい感じ、逃げ場のない感じ、そういうものに毒されてこそ人生なんだという悟り。金で安心なんかできない感じ。そういうのを信じている輩というか。

先週
かなり忙しかった。というか、毎日謝っていた気がする。たしか木曜日にヨドバシAkibaに行った。1階のノートパソコンコーナーでスタパ齋藤らしき人がLenovo Gの重さを確かめていたりしたが、あれは本人なのだろうか。あまりオーラがないというか、普通のおっさんとして紛れていたように思う。加えて、先週は一人で酒場に行ったりカフェに行ったりが多かったように思う。空き時間で読書するにも、メモまとめるにも時間に追われていたなぁ。

土曜日
roppongi hills tokyo city viewへ。他人が飯食うところを横切るのは嫌だ。その後、森美術館で医学と芸術展。ダミアン・ハーストの絵画が良かった。あとはあまり良いものなかった。松井冬子もあった。でも、それが何か心を動かすというものでもなく。現代美術には正直、うんざりしている。だからといって、昔の芸術が優れているという認識でもない。骸骨を板にこすりつけて、粉状ペースト化されているという作品やピルを編み込んだドレスなど、そのわざとらしさでお腹いっぱいになるというか。ハーストの作品でも、動物輪切りシリーズとか、わざとらしくて絶望的になる。つまりは、それ以上のアイデア出なかったんでしょうか、という絶望で、そういう作品に対して評価する、というような時点でもう現代人の想像力の枯渇を証明している気がする。アートがなんだ、どうだとかいう議論には必ずノイズが入っている、と思う。商業的な部分、そのわざとらしさをアートに組み入れようとしたのは、アンディ・ウォーホルだろう。もういいんだよな。そういうのは。
六本木の後、銀座行って、帰ってきた。世界のハイボール飲んで、読書して就寝。