修学旅行から10年ぶりの美観地区、夜の美観地区

最初に善人がどのような存在か定義しなければならないだろう。意識的であれ、無意識であれ、その存在を忌々しく感じたら、その人は悪人で、心地よく思ったら善人。

そのため息の理由を察するに、本当にまとまりのない出張になっているようだ。全ては過去である今の俺の怠惰に他ならないが、反省する気はない。もはや選択肢は1つしかない。そこについては、君でも分かっているはずだ。ただ、その選択肢に向かっていく、というか

10年前の俺よ、何も見ることないねと美観地区で呟いているお前だ、班で勝手にプランを作って楽しめと担任に言われて、何もやることがなくなって、彷徨い歩いて逆立ちとかしているそこのお前だ、お前は10年後、全く予想もしない形で、大した目的もなく、ここに来るだろう。そして、接待で魚料理を食べる。期待が大きすぎたのか、そこまで美味しいとは思わないはずだ。夜の美観地区は情緒で溢れている。美観地区を散策して、無料案内所に行くだろう。紹介されたキャバクラが高レベルで、目の保養になるはずだ。愚かなお前はこの土地のキャバクラは穴場で、思ったよりかわいい子が多いとも思うだろう。全く仕事をしていないことが、罪悪感になってきているに違いない。明日からちょっとずつ頑張ろうと思うだろう。しかし、そういった意識は全て、どうやったらまた倉敷のキャバクラにこれるかという愚かな問いに変わってしまうはずだ。そういう頑張り方もあるだろう。明日は東京に帰ってしまう。岡山からえんやこら新幹線で帰ることになる。その帰り道、報告書がまとまらないことに苦痛を覚えるはずだ。何もやっていないのだから。