生きていれば誰も傷つかずにはいられない、と慰めたところで

月曜
遅いスタート。サイゼリヤ行った。ドリンクバーのコストパフォーマンスの恐ろしさ。成城石井でココア買った。その後、部屋掃除して、地元の祭りへ。神輿観た。子供の頃はワクワクしたけど、もうワクワクしない。昨今の事故米報道を知ると、屋台で金を使う気もなくなる。もう神輿を担ぐこともないな。
久々に地元に帰ると、周囲の人生の濃さにびびるというか。離婚、バツイチ、痴呆、老人ホーム、墓、遺産相続、土地、マンション建築反対運動、政治、信仰、倒産、失業、病気。今まで全て対岸の火事だった。テネシー・ウィリアムスの劇みたいにいろいろ出てくる。それは少しずつ忍び寄ってくる。年下のAV女優、年下のオリンピック選手、年下のアイドルの出産、気付けば時代は動いて、それらは加速して迫ってくる。ただ、生きているだけで、someone ask me what do you think?何も言いたくないのに。だからこそ、聞いてくるのか。無言は無言としても、答えを出さざるを得ない。アナーキーだってアナーキーとして社会に答えを出さざるを得ない。人と関われば、傷つかずにはいられない。遅かれ早かれ。ぼくといっしょのイトキン風に言えば、俺の人生のキャンバスなんてもうぐちゃぐちゃで何描きたかったかも思い出せねぇよ!つまりはクソにはクソと言い、笑いたい。全てを笑い飛ばせるユーモアが重要。