レイモンド・カーヴァー「頼むから静かにしてくれ」

以前、村上春樹のエッセイ(確か、『若い読者のための短編小説案内』だったと思う)でカーヴァーの短編『他人の身になってみること』が素晴らしい書き出しであるというようなことが書いてあった。本著のあとがきでも村上春樹が解説しているのだが、そのあとがきによれば、カーヴァーがあるエッセイでこの書き出しが良いと自分で説明していたようだ。その書き出しとは『掃除機をかけているときに、電話のベルが鳴った。』である。確かにこの書き出しは、話の始まりとして素晴らしいなと思う。掃除機をかけているっていう何の変哲もない日常から何かが始まる様子。電話のベルが鳴るってところに何か異質なものがその日常に入り込もうとする瞬間を描いているようで、始まりとしては非常に秀逸な文章だと思う。話自体はおもろくないが(「そいつらはお前の亭主じゃない」はおもろかった。)。一方、綿矢りさの有名な書き出しで、「さみしさは鳴る。」 ってのがある。これは、俺はあまり良い書き出しとは思えない。ナルチズムというか。こういう書き出しってその話の中身や方向性を決定付ける感じで高度で難しいんだろうな。書き出しにおけるビジュアル系というか。さみしさよりは電話のベルが鳴って欲しい。語り口なんだろうけど。

伊瀬カツラの「オナマス黒沢」の小説版を読んだ。これ、秀逸だなぁ。描き方が上手。一つの話の中に、いろいろ詰め込んでる。伏線の描き方も良いねぇ。黒沢の秘密を知ってしまった北原がいじめっこへの復讐をドア越しに依頼するとか、滝川への恋心と失恋とか甘酸っぱい感じのくだり、真実を告白後変態としていじめられる流れとか特に。黒沢の秘密があるからワクワクするんだよね。秘密って大事だよな。人間の虚勢やごまかしって確実に「笑い」だし。言っちゃいけないことをするとかやっちゃいけないことをしちゃう性ってのに惹かれる。人には言えない秘密がある人の話に、何か人生の生き難さを発見してしまう。結局、秘密が好きって人間の覗き見嗜好なんだろうけど、秘密基地だの秘密の交換日記だのそういう腐れファッキンな青春が素敵。今週末は秘密基地を作りに行きたい。でも、どうだろうか?秘密基地作ろうぜって27歳。どう答えるよ?秘密基地とかいって、もてそうじゃねwwwwwww