「見ちがい、言いちがい」

そして、見当違いと。

何故だか、僕らは間違いばかり犯してしまっている気がする。でも、間違いというのがそもそもわからない。正解以外は全て間違いな気もするし、永遠に正解は僕らが到達できないような気もする。つまり、なんだかわからないが降りかかってくる事象をとりあえず、正解か間違いかどちらかに価値付けることで思考を停止させる代わりに、判断している自分に自信を持たせ、世界の中にいる自己を認識させようと自らに暗示をかける試みなのだろうか。身勝手な差異を認識できる僕らの脳みそが幸いだと誰が言い切れようか?間違いと盲信していたそれは間違いではなくて、全ては自分を発見させるためだけの行為を続けていただけかもしれないかもしれないかもしれない。

下北の「劇」新劇場で見てきたわけだが、あまり評価できるものではなかった。実験的な試みとしても甘い印象を受けた。

会場着いたら、「あ、今席作りますねー」と座布団を敷きだすどんぶり勘定具合。まぁ、微笑ましいのだけども。で、劇場に入ったら既に役者が立ちながらステージで寝ているというスタンバイ具合。これは強烈な演出。幕以前から、介入している。

本作は、それが狙いだとしても、あまりに、全てが日常と乖離しており、説明がされなさ「過ぎる」ところが退屈である。「サイコシス」と同じくまず、話がほぼない。わけわからないことを言う。つまりは言葉の連鎖、連想ゲーム。イメージで遊ぶ人向き。演劇関係者っぽい人や大学の先生風が結構いたが、個人的にはあまり評価できなかった。

昨日のストーンズに圧倒されてるだけ?いやいや。

あくまで個人的な趣味だけど、舞台と客のボーダーが限界まで曖昧な劇を見たいなぁ。