嫌な事→良い事にする・させる

気楽に生きたい。でも、日々は目紛しい。たまには日記らしきものを書きます。

日曜日
失恋に効く薬はおそらく、酒、友、時間なんすかね。とにかく、慰安会 for my friend。そのもやもやを是非、曲にぶつけよう、バンドやろうぜ、と説得。バンド名には絶対「童貞」という言葉を入れよう、なんらかの。という中学生的結論に達しつつも、やらねぇだろうなー。私だけ見切り発車で楽器買います。本当に。

昔、イエモンの曲とかやってた。最初、コードって簡単だよとか言われて、秋葉原のスタジオでそれは始まりました。でも、スタジオ代って結構学生には高くて、じゃ、家でって話でも、「お前んち行くのめんどいよ」みたいなことになって、解散。もう、全員が動物的感性。「めんどい」とか。めんどくせぇとか言っちゃいけないっすよ。やっぱ。人に対して。めんどくせぇで、駄菓子食って談笑。のんきだった。「めんどい」は良くないと、今になっては思うけど、当時は「めんどい」と言って、どうでもいいことに熱中していた記憶が。ほんと、理想と妄想甚だしいくせに、現実を知らないバカ学生であった、と。故に、もう、全て忘れているに、100ガバス。ギターって、あれ続けると本当に指の皮が厚くなるんですよね。

火曜日
仕事終え、ダッシュで銀座、小腹が空いたので松屋裏のスタバでクロックムッシュ。最近こればかり。というか、シンプルで好きです。クロックムッシュ。スタバのコーヒーも飽きてきてる。最近は、フラペチーノライトっすか。
その後、一時間ほど某所でプレゼンを聴く。その後、スポーツクラブ。サウナで、俺はあの人よりは長くいるぞと、無駄な対抗意識が生まれつつ。疲れた。

水曜日/木曜日
読書デー。本屋で物色。最近、カタロガーとかぬかす雑誌が本屋の棚を牛耳っている。要するにカタログです。戦略は、アイドルとデジタル家電。ダイソンの掃除機とかsegwayとギャラ安めのアイドル。買いませんが。
本屋でおもろそうだったのは、Chuck Palahniukのララバイ。「ファイトクラブ」の中の人。今度行ったら買おうかな。

あと、本当に頭の良い人は、「頭の良い人の話し方」を読みませんよ、頭の悪い人よ、などと言うと、もう一人の私、曰く「頭の悪い人を演じる、それも一つのストラテジーであり、寧ろタクティクスですよ」などと。
「本当に頭のいい人は頭の悪い人を演じる」
「why?」
「頭の良い人は、人間が過ちを犯すということを知っている。そして、その時にどう謝るか、振る舞えば良いかも「想定済み」です。はい、どーん。事故です。例えば、その時、社長がインテリ風に頭の良いしゃべり方で「すみません。でも社長は辞めません。」というのと、町工場の火災事故、「町工場のおやっさんが、「ほんと、すまねぇだよ」とその不器用さありのままに訛り言葉で泣きながら謝罪。事故の規模の大小こそあれ、その振る舞いの違いに寄る観衆の受け取り方の違いを考えてみてほしい。怒りは立場や対象の振る舞いによって変化しますよね。故に、本当に頭の良い人は、寧ろ、日常的に頭の悪い人を振る舞う戦略を行っているのです」
「馬鹿の時代ですか。It's coming, Fool's era.」
「悪貨が良貨を駆逐する。そして、馬鹿には馬鹿の。貴族には貴族の振る舞いがある。貴族も馬鹿も大変です。けれども、最低限の馬鹿を身につけることで、馬鹿のリフレクション同化を得られれば、それはそれでお得じゃない?馬鹿は得!略して、バカトク!」
「馬鹿の最大公約数を目指して?」
「ミクロレベルで馬鹿グルーブを感じようよ!「ジャッカス」で生きろ!」
頭が悪い帰結ですが、バカ最高、と。みもふたもない。

なんか、「通勤電車で座る方法」とかいう本もあるらしい。いや、how to本にもほどがありませんか?「幸せな人生の歩み方」とか「人生に意味はあるのか」とかそういう本、読むのは否定しないし、私も興味あれば読みますが、数百円で方法論を読んで、物事が本当に解決に向かったり、幸せになれるような人がいたら、それこそ幸せな人だなぁ、と。

というか、ねぇさん、事件です(高嶋弟風に。古いな。)。事件の匂いがします。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797331283/yosuke-22/

どう考えても、もてなさそうなモリタクにこんなことを一方的に語られた時、僕らはこの本が果たして、真実を伝える命題を持ちうる本なのか、或いは、戯れや策略による結果なのか、この本の根源的意味を疑うことを促される。そして、彼が、不条理かつ不可解で偶然にも最悪な外的要因によって切迫した状況を意図的に作らされ、或いは陥り、いわば「出版せざるを得なかった」、最終的には、これを作らないことを避ける事ができなかった作者の苦渋なる断行とその悲鳴に満ちた内面を察し、「思いやる」という人間の尊き情愛を、再び僕らは自らの中に再認識させられるわけです。辛かったと思うわ。彼も。

安い方法論が拡散していくのは、怖いから?いろんな不安があって、それを克服するお手軽処世術。人間の欲望の深さを良しと捉えるか、悪しと捉えるかで、大きく違いますね。

土曜
今週は、中華街に行ったり、パーティに行ったりしたのですが、今日は六本木に。で、今さっき終電で帰宅。

午前中、仕事関係をウェブ上で済ます。こんな風にSOHOで仕事済んだら、ぶっちゃけ、リゾートしててもパソコンと電話線だけあればできますよね。ますます、iSyncの必要性が高まってまいりました。

午後、神保町演劇関係の古本屋後、可及的速やかに銀座へ向かい、用を済ませ、西麻布へ。五行でこがし味噌を食べ終え、六本木に向かっていると「五行ってお店どこですか?」とか道行く人に尋ねられたので、教える。「今、食べてきました」って言えば良かったかな。混んでるけど、好きな店。

その後六本木ヒルズの横のツタヤ1Fの本屋で結構、熱心に読んでた。Mac OS X serverの本をガツガツ読んでた気がする。お手洗いに行くと、「blogが云々、モバタイプ云々、phpで云々」とか語っとる若者がいて、思わず「movabletypeね」とツッコミたくなったが、言わず。

気楽に生きたい。でも、日々は目紛しい。たまには日記らしきものを書きます。

日曜日
失恋に効く薬はおそらく、酒、友、時間なんすかね。とにかく、慰安会 for my friend。そのもやもやを是非、曲にぶつけよう、バンドやろうぜ、と説得。バンド名には絶対「童貞」という言葉を入れよう、なんらかの。という中学生的結論に達しつつも、やらねぇだろうなー。私だけ見切り発車で楽器買います。本当に。

昔、イエモンの曲とかやってた。最初、コードって簡単だよとか言われて、秋葉原のスタジオでそれは始まりました。でも、スタジオ代って結構学生には高くて、じゃ、家でって話でも、「お前んち行くのめんどいよ」みたいなことになって、解散。もう、全員が動物的感性。「めんどい」とか。めんどくせぇとか言っちゃいけないっすよ。やっぱ。人に対して。めんどくせぇで、駄菓子食って談笑。のんきだった。「めんどい」は良くないと、今になっては思うけど、当時は「めんどい」と言って、どうでもいいことに熱中していた記憶が。ほんと、理想と妄想甚だしいくせに、現実を知らないバカ学生であった、と。故に、もう、全て忘れているに、100ガバス。ギターって、あれ続けると本当に指の皮が厚くなるんですよね。

火曜日
仕事終え、ダッシュで銀座、小腹が空いたので松屋裏のスタバでクロックムッシュ。最近こればかり。というか、シンプルで好きです。クロックムッシュ。スタバのコーヒーも飽きてきてる。最近は、フラペチーノライトっすか。
その後、一時間ほど某所でプレゼンを聴く。その後、スポーツクラブ。サウナで、俺はあの人よりは長くいるぞと、無駄な対抗意識が生まれつつ。疲れた。

水曜日/木曜日
読書デー。本屋で物色。最近、カタロガーとかぬかす雑誌が本屋の棚を牛耳っている。要するにカタログです。戦略は、アイドルとデジタル家電。ダイソンの掃除機とかsegwayとギャラ安めのアイドル。買いませんが。
本屋でおもろそうだったのは、Chuck Palahniukのララバイ。「ファイトクラブ」の中の人。今度行ったら買おうかな。

あと、本当に頭の良い人は、「頭の良い人の話し方」を読みませんよ、頭の悪い人よ、などと言うと、もう一人の私、曰く「頭の悪い人を演じる、それも一つのストラテジーであり、寧ろタクティクスですよ」などと。
「本当に頭のいい人は頭の悪い人を演じる」
「why?」
「頭の良い人は、人間が過ちを犯すということを知っている。そして、その時にどう謝るか、振る舞えば良いかも「想定済み」です。はい、どーん。事故です。例えば、その時、社長がインテリ風に頭の良いしゃべり方で「すみません。でも社長は辞めません。」というのと、町工場の火災事故、「町工場のおやっさんが、「ほんと、すまねぇだよ」とその不器用さありのままに訛り言葉で泣きながら謝罪。事故の規模の大小こそあれ、その振る舞いの違いに寄る観衆の受け取り方の違いを考えてみてほしい。怒りは立場や対象の振る舞いによって変化しますよね。故に、本当に頭の良い人は、寧ろ、日常的に頭の悪い人を振る舞う戦略を行っているのです」
「馬鹿の時代ですか。It's coming, Fool's era.」
「悪貨が良貨を駆逐する。そして、馬鹿には馬鹿の。貴族には貴族の振る舞いがある。貴族も馬鹿も大変です。けれども、最低限の馬鹿を身につけることで、馬鹿のリフレクション同化を得られれば、それはそれでお得じゃない?馬鹿は得!略して、バカトク!」
「馬鹿の最大公約数を目指して?」
「ミクロレベルで馬鹿グルーブを感じようよ!「ジャッカス」で生きろ!」
頭が悪い帰結ですが、バカ最高、と。みもふたもない。

なんか、「通勤電車で座る方法」とかいう本もあるらしい。いや、how to本にもほどがありませんか?「幸せな人生の歩み方」とか「人生に意味はあるのか」とかそういう本、読むのは否定しないし、私も興味あれば読みますが、数百円で方法論を読んで、物事が本当に解決に向かったり、幸せになれるような人がいたら、それこそ幸せな人だなぁ、と。

というか、ねぇさん、事件です(高嶋弟風に。古いな。)。事件の匂いがします。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797331283/yosuke-22/

どう考えても、もてなさそうなモリタクにこんなことを一方的に語られた時、僕らはこの本が果たして、真実を伝える命題を持ちうる本なのか、或いは、戯れや策略による結果なのか、この本の根源的意味を疑うことを促される。そして、彼が、不条理かつ不可解で偶然にも最悪な外的要因によって切迫した状況を意図的に作らされ、或いは陥り、いわば「出版せざるを得なかった」、最終的には、これを作らないことを避ける事ができなかった作者の苦渋なる断行とその悲鳴に満ちた内面を察し、「思いやる」という人間の尊き情愛を、再び僕らは自らの中に再認識させられるわけです。辛かったと思うわ。彼も。

安い方法論が拡散していくのは、怖いから?いろんな不安があって、それを克服するお手軽処世術。人間の欲望の深さを良しと捉えるか、悪しと捉えるかで、大きく違いますね。

土曜
今週は、中華街に行ったり、パーティに行ったりしたのですが、今日は六本木に。で、今さっき終電で帰宅。

午前中、仕事関係をウェブ上で済ます。こんな風にSOHOで仕事済んだら、ぶっちゃけ、リゾートしててもパソコンと電話線だけあればできますよね。ますます、iSyncの必要性が高まってまいりました。

午後、神保町演劇関係の古本屋後、可及的速やかに銀座へ向かい、用を済ませ、西麻布へ。五行でこがし味噌を食べ終え、六本木に向かっていると「五行ってお店どこですか?」とか道行く人に尋ねられたので、教える。「今、食べてきました」って言えば良かったかな。混んでるけど、好きな店。

その後六本木ヒルズの横のツタヤ1Fの本屋で結構、熱心に読んでた。Mac OS X serverの本をガツガツ読んでた気がする。お手洗いに行くと、「blogが云々、モバタイプ云々、phpで云々」とか語っとる若者がいて、思わず「movabletypeね」とツッコミたくなったが、言わず。