給料

真夜中にうろつく。意味もなくうろつく。一人でいい。一人がいい。真夜中にうろつく((c)ハイロウズ)。

散歩してて、気付いたんですが、7福神巡りと言うのがあるらしいです。今度、やろうと思います。最速でやってみようと思います。なんか、福男のニュース以来福は最速なもんじゃないとダメだみたいな強迫観念が。

「春は曙」?もうね、由々しき時代錯誤感覚と言わざるを得ません、清少納言。それだから、少納言なのだという市民の声が聞こえてくるようです。

花粉症がある現在、春は早朝こそが憂鬱なわけで、寧ろ、春は雨後の夜中。花粉の落ちきった雨後の、若干の冬の寒さが残る静かな夜こそ素晴らしいと、俺は推したい。あ、でも曙って正確には深夜から早朝なんだっけ?この前、曙、勝ったらしいですね。角田に。春は曙ってそっちの暗示ですか。なんか、AERAのコピーみたい。

僕は春になると、しばしば意味もなく夜中に散歩をするのですが、それを見てsomeone said虫みたいなどと。啓蟄

チャリツーの悲劇1:雨と寒さに弱い。悲劇2:ビル街を朝から爆走して人の流れを逆走していると、注目される。

今日は、銀座行ってきました。相変わらず、人多く。手帳が欲しいんですよね。時間の使い方へたくそなもんで。でも、買わず。何故ー?あと、スポーツクラブも行きたい。金かかりそうですが。

このmixiのバナーで知ったのですが、鈴木あみがエイベックスで活動するそうです。なんか、復活とか結構前から何度もアピールしてた記憶があるのですが、売れているのでしょうか?この人、なんというか、一番良い時期を「フルスイングで棒にふった」((c)滝本竜彦)ような気がしてなりません。

今、思い出しました。そういえば、ボキャ天では、遅れてきたルーキー「ブーマー」という芸人がいましたが、最近見ない。x-GUNも見ないや。フォークダンスDE鳴子坂もみない。現在のくりぃむしちゅーネプチューンの活躍に比べ、当時の芸人のその後が気にかかるところですが、最も気にかかるのは、あれから名前を聞く事もなくなってしまった「底ぬけAIR‐LINE」。何やってんだろ。遅れてきたっつーか、既に通り過ぎてしまったわけですが。どちらが?太陽が我々の馬車を通りすぎて(エミリー・ディキンソン風)。

つーか、「愛、地球博」。実は、昨年、開幕前に会場建設地にいったんだけど、とにかく、すげー広い。国有地なのかなんだか知らないが、とにかく森の中、山の中にあると言っても良い。駅から遠いんでリニアが混むのも分かる。あの総工事費たるやおそらく巨額なんだろうが、先進国の万博の意味って、発展途中の中国やインドに比べ、広告的なインパクトが薄い気が。その辺、相対的なんだろうけども、万博の意義も分からんけども、「俺らここまでやりましたよ」っていうメッセージが薄い気が。経済効果に期待?ロボットとか、おもろそうだけど。

私、最近、否定的見解ばかりですね。そんな俺こそダメじゃんかよ!あなた、何、批評家気取りなわけ!(ピーコ風)小市民が!

気晴らしにこれから、CDを大音量でかけよ!

時々マッサージとかサッカーとかライブとかイベントがあるけど、最近、一種の欲求不満を「買い物」で解決している。やばい。商品やサービスを差異で判断。消費という名の快楽。うはうは。この時点で、全ては終わった。宇宙は収縮し始め、全ては死に、時すら枯れた。everybody資本主義社会の奴隷と言わざるを得ない。檻の中の豚と言わざるを得ない。俺の自我とは、社会の影響によって作られたもので、人ごとだと思いつつ、俺も他者に影響を与えているだろう現在の状況、相互影響相互依存する社会環境は、固いダイアモンドの鏡で、オープンにしろと内部の人間を裸にする。ダイアモンドのシェルターで恥じらいを失った僕らが求めるのは、次の恥じらい。次の礼儀であり、次の礼節と作法。人は、誰もが何かを信じる事が必要なんだと俺はこのクソ社会で、全裸で気付く。信じられる何かを求めて、もがく人間の様を、ある人々は皮肉って滑稽に思うかもしれないが、どうあれ、真実は美しいのである。

自覚せざるを得ない。広告に埋没したメディアに消費こそ快楽と促され、欲望する機械となった俺らは、ある一つの真実を自覚する事を避けざるを得ない。全てはNHK(日本ひきこもり協会)の陰謀だということを(c)滝本竜彦。何もかも、言わざるを得ない。いかんともしがたく、言わざるを得ない。全てを氷点下で止めてくれ!消し去ってくれ!時間を!

自由について考えた。ある雑誌での山形ひろおの言い分がすごかったので。俺自身についても、考えた。

そもそも、何かを定義して、それを押し付けるから、それに対する抵抗としてのロックとか、そういう社会批評は俺は嫌いで、俺は自然とロックでいたい。社会とか時勢は関係ない。分かるだろうか?つまり、何かの目的とか敵対とかそういう関係でロックなんじゃないってことですよ。つまり、社会的な要求でロックとか、理由が外部にあるロックは嫌だと。気持ち良さを分かる事ができるのは、自分だけだ!ここで、その気持ちよさすら分からないほどに俺は空っぽだとか、気持ちよさは自分を通り過ぎ、どこかの誰かにたどり着くものだ、と捉えても宗教的ですが。

ありのままでロック。これだよ。抵抗とかさ、もうどーでもいい。ありのままの追求上、内省的に自分を確認する中で、ロックにならざるを得ない。自然に、社会不適合。そんな・・・すごい・・・。

人間的成長とかあれ、嘘ですから。よく会社案内とかにある。人間として成長できたとか。人間としてって何ですか?俺の人間の定義には、醜く、悲劇的な存在であることが充分、含まれているわけで。あと、成長って何?

そもそも、成長などなかったんだ。成長と言う名の、首輪であり、鎖ですから。無限の鎖と首輪をつけられたある人間の振る舞いを時として、成長と呼んでるだけだ。しかも、それは身につけるものですから。退行することもある。着るか脱ぐか。

俺の自由に対する考えも書き表すにはもっともっと字数がいる。人は考える。自由が相対的なものとか社会的なものとかそれはまぁ、最終的には人間のフィーリングだからってことっすか?でも、その感覚は問題じゃなくて、産まれたときから死ぬまで、いや、地球が滅亡するまで、何かの定点があるからその相対としての自由の尺度。こんなめんどくさい、こんなお気楽に思考停止な自由の定義を俺はしない。幸福だってそうだ。「自由」がおかしいとも言わない。「素晴らしき新世界」。違うか。

この前、ジェネジャンとか言うのを見たが、熱き涙を誘うことに、13歳で学歴社会の奴隷となっておられる方がはばかる事なく、「学歴ないと良い会社に入れないでしょ」などと高偏差値マークな発言されていらっしゃったので驚いた。

同時に、「たけしの誰でもピカソ」で小学生のhanae*タソが小学生というにはまたまた憚ってしまいそうなほどの大きな御額を全開に、チャレンジャーを他のコメンテーター無視でぼろくその点数をつけていらっしゃった。昔のインディアンみたいな面長顔がキュートな彼女は、「発見や驚きがない作品」などと一蹴、村上隆やたけしの手前にも関わらず凄まじい辛口批評を続けていらっしゃった。視聴者がドキドキしてどうする。

新人類の登場ですよ。特に、後者の方は、自作は駄文に関わらず、人を驚きがない作品とたしなめる、その言動に驚きを隠せないわけで。阿部和重が「たまたまです。ラッキーでした」と芥川賞を取ってコメントしたのに比べ、なんと謙遜のないことよ。

現実を説明しますと、最近は、もう仕事ばかりです。もう、仕事のために、office for macとか買いそうな勢い。昨日もデータをUSBメモリー入れて持ち帰ったり。やばいな。気楽にやりたい。要するに、最近、仕事がものすごくこみいってきているのである。詳しくは言いませんが。

少し上がるとのこと。待ちわびていたぞ。である。4月に、オーディオを買う。つーか、絶対、買う。

取引先の負け犬女がマジでいらつくっす。

真夜中にうろつく。意味もなくうろつく。一人でいい。一人がいい。真夜中にうろつく((c)ハイロウズ)。

散歩してて、気付いたんですが、7福神巡りと言うのがあるらしいです。今度、やろうと思います。最速でやってみようと思います。なんか、福男のニュース以来福は最速なもんじゃないとダメだみたいな強迫観念が。

「春は曙」?もうね、由々しき時代錯誤感覚と言わざるを得ません、清少納言。それだから、少納言なのだという市民の声が聞こえてくるようです。

花粉症がある現在、春は早朝こそが憂鬱なわけで、寧ろ、春は雨後の夜中。花粉の落ちきった雨後の、若干の冬の寒さが残る静かな夜こそ素晴らしいと、俺は推したい。あ、でも曙って正確には深夜から早朝なんだっけ?この前、曙、勝ったらしいですね。角田に。春は曙ってそっちの暗示ですか。なんか、AERAのコピーみたい。

僕は春になると、しばしば意味もなく夜中に散歩をするのですが、それを見てsomeone said虫みたいなどと。啓蟄

チャリツーの悲劇1:雨と寒さに弱い。悲劇2:ビル街を朝から爆走して人の流れを逆走していると、注目される。

今日は、銀座行ってきました。相変わらず、人多く。手帳が欲しいんですよね。時間の使い方へたくそなもんで。でも、買わず。何故ー?あと、スポーツクラブも行きたい。金かかりそうですが。

このmixiのバナーで知ったのですが、鈴木あみがエイベックスで活動するそうです。なんか、復活とか結構前から何度もアピールしてた記憶があるのですが、売れているのでしょうか?この人、なんというか、一番良い時期を「フルスイングで棒にふった」((c)滝本竜彦)ような気がしてなりません。

今、思い出しました。そういえば、ボキャ天では、遅れてきたルーキー「ブーマー」という芸人がいましたが、最近見ない。x-GUNも見ないや。フォークダンスDE鳴子坂もみない。現在のくりぃむしちゅーネプチューンの活躍に比べ、当時の芸人のその後が気にかかるところですが、最も気にかかるのは、あれから名前を聞く事もなくなってしまった「底ぬけAIR‐LINE」。何やってんだろ。遅れてきたっつーか、既に通り過ぎてしまったわけですが。どちらが?太陽が我々の馬車を通りすぎて(エミリー・ディキンソン風)。

つーか、「愛、地球博」。実は、昨年、開幕前に会場建設地にいったんだけど、とにかく、すげー広い。国有地なのかなんだか知らないが、とにかく森の中、山の中にあると言っても良い。駅から遠いんでリニアが混むのも分かる。あの総工事費たるやおそらく巨額なんだろうが、先進国の万博の意味って、発展途中の中国やインドに比べ、広告的なインパクトが薄い気が。その辺、相対的なんだろうけども、万博の意義も分からんけども、「俺らここまでやりましたよ」っていうメッセージが薄い気が。経済効果に期待?ロボットとか、おもろそうだけど。

私、最近、否定的見解ばかりですね。そんな俺こそダメじゃんかよ!あなた、何、批評家気取りなわけ!(ピーコ風)小市民が!

気晴らしにこれから、CDを大音量でかけよ!

時々マッサージとかサッカーとかライブとかイベントがあるけど、最近、一種の欲求不満を「買い物」で解決している。やばい。商品やサービスを差異で判断。消費という名の快楽。うはうは。この時点で、全ては終わった。宇宙は収縮し始め、全ては死に、時すら枯れた。everybody資本主義社会の奴隷と言わざるを得ない。檻の中の豚と言わざるを得ない。俺の自我とは、社会の影響によって作られたもので、人ごとだと思いつつ、俺も他者に影響を与えているだろう現在の状況、相互影響相互依存する社会環境は、固いダイアモンドの鏡で、オープンにしろと内部の人間を裸にする。ダイアモンドのシェルターで恥じらいを失った僕らが求めるのは、次の恥じらい。次の礼儀であり、次の礼節と作法。人は、誰もが何かを信じる事が必要なんだと俺はこのクソ社会で、全裸で気付く。信じられる何かを求めて、もがく人間の様を、ある人々は皮肉って滑稽に思うかもしれないが、どうあれ、真実は美しいのである。

自覚せざるを得ない。広告に埋没したメディアに消費こそ快楽と促され、欲望する機械となった俺らは、ある一つの真実を自覚する事を避けざるを得ない。全てはNHK(日本ひきこもり協会)の陰謀だということを(c)滝本竜彦。何もかも、言わざるを得ない。いかんともしがたく、言わざるを得ない。全てを氷点下で止めてくれ!消し去ってくれ!時間を!

自由について考えた。ある雑誌での山形ひろおの言い分がすごかったので。俺自身についても、考えた。

そもそも、何かを定義して、それを押し付けるから、それに対する抵抗としてのロックとか、そういう社会批評は俺は嫌いで、俺は自然とロックでいたい。社会とか時勢は関係ない。分かるだろうか?つまり、何かの目的とか敵対とかそういう関係でロックなんじゃないってことですよ。つまり、社会的な要求でロックとか、理由が外部にあるロックは嫌だと。気持ち良さを分かる事ができるのは、自分だけだ!ここで、その気持ちよさすら分からないほどに俺は空っぽだとか、気持ちよさは自分を通り過ぎ、どこかの誰かにたどり着くものだ、と捉えても宗教的ですが。

ありのままでロック。これだよ。抵抗とかさ、もうどーでもいい。ありのままの追求上、内省的に自分を確認する中で、ロックにならざるを得ない。自然に、社会不適合。そんな・・・すごい・・・。

人間的成長とかあれ、嘘ですから。よく会社案内とかにある。人間として成長できたとか。人間としてって何ですか?俺の人間の定義には、醜く、悲劇的な存在であることが充分、含まれているわけで。あと、成長って何?

そもそも、成長などなかったんだ。成長と言う名の、首輪であり、鎖ですから。無限の鎖と首輪をつけられたある人間の振る舞いを時として、成長と呼んでるだけだ。しかも、それは身につけるものですから。退行することもある。着るか脱ぐか。

俺の自由に対する考えも書き表すにはもっともっと字数がいる。人は考える。自由が相対的なものとか社会的なものとかそれはまぁ、最終的には人間のフィーリングだからってことっすか?でも、その感覚は問題じゃなくて、産まれたときから死ぬまで、いや、地球が滅亡するまで、何かの定点があるからその相対としての自由の尺度。こんなめんどくさい、こんなお気楽に思考停止な自由の定義を俺はしない。幸福だってそうだ。「自由」がおかしいとも言わない。「素晴らしき新世界」。違うか。

この前、ジェネジャンとか言うのを見たが、熱き涙を誘うことに、13歳で学歴社会の奴隷となっておられる方がはばかる事なく、「学歴ないと良い会社に入れないでしょ」などと高偏差値マークな発言されていらっしゃったので驚いた。

同時に、「たけしの誰でもピカソ」で小学生のhanae*タソが小学生というにはまたまた憚ってしまいそうなほどの大きな御額を全開に、チャレンジャーを他のコメンテーター無視でぼろくその点数をつけていらっしゃった。昔のインディアンみたいな面長顔がキュートな彼女は、「発見や驚きがない作品」などと一蹴、村上隆やたけしの手前にも関わらず凄まじい辛口批評を続けていらっしゃった。視聴者がドキドキしてどうする。

新人類の登場ですよ。特に、後者の方は、自作は駄文に関わらず、人を驚きがない作品とたしなめる、その言動に驚きを隠せないわけで。阿部和重が「たまたまです。ラッキーでした」と芥川賞を取ってコメントしたのに比べ、なんと謙遜のないことよ。

現実を説明しますと、最近は、もう仕事ばかりです。もう、仕事のために、office for macとか買いそうな勢い。昨日もデータをUSBメモリー入れて持ち帰ったり。やばいな。気楽にやりたい。要するに、最近、仕事がものすごくこみいってきているのである。詳しくは言いませんが。

少し上がるとのこと。待ちわびていたぞ。である。4月に、オーディオを買う。つーか、絶対、買う。

取引先の負け犬女がマジでいらつくっす。