ラヴ・アクチュアリー

「死ぬ前に俺の見た美しい光景を全て残す」などといって、彼は写真を撮りまくっていて、その有名になりたい、或いは、なりたかった意欲があるならば、充分、その執念深さで死の誘惑を乗り越えてもらいたいものだが、もっぱら彼にとって生は、マーク・ボラン気取りだかなんだか知らないが、「30歳までのもの」らしい。

生き急ぎ過ぎじゃないか。もっと肩の力を抜けよとも言いたいが、「人生は30で決まるから」といって話にならない。「茶坊主が分かったような口きくんじゃねぇ、バイトでしか働いたことねぇブルジョア芸術家気取りが!」などとも思うが、俺だってやつと同級生である以上、社会の何たるかも分かってないし、勿論バイトでしか「分かったようなこと」を言えない以上、社会のなんたるかなんてアドバイスできない。そもそも、なんたるかなんてないのかも知れないけども。

そういう状況で、偶然にもというか、親切な先輩やおじさん、まぁ身近な大人、そういう人が彼の生を肯定する、しがみつかせる何かを言ってやるとか、相談事にのるとか、そういうことをしてやるのが「更正」だったり、「教育」だったりで、良い方法なんだろうが、最近は、大人も意気消沈、元気なく、人にアドバイスできるような状態ではなく、寧ろ肥大化した自意識によって、他人は他人という薄ら寒い哲学がはびこっている中で、誰一人として、彼に「おい、そこの坊主!ふざけたこといってんなよ」などと立川談志が毒舌まじりに彼の絶望をひも解いてくれるわけでもない。

そこで彼も彼なりの肥大化した自意識でもって、この社会に対抗するわけで、「俺の作品が認められるか、認められないか」という二項でもって全てを判断するようになり、最終的には「認められない=社会が悪い」などと、甘えこの上ないご都合主義で世界理解をされているその理解の狭さとわがままさに心底、嫌になったというか、まぁそんな状況であった。

「そこまで言うなら、見てやろうじゃないの」と、友人とともに彼が自腹で開いた個展を見てみたのだが、何だこれ、彼の重苦しい精神世界がそれこそ「爆発」されていて、新鮮さや見て楽しかったという感覚は皆無であった。彼の家族との喧嘩とも思える写真をぐだぐだに切り刻んであったり、黒く塗ってあったり、卒業写真がぐちゃぐちゃに刻まれモザイクされ、「表面的な関係」とか書いてあったり、どっかの大学の講義風景で、全員の学生の頭が男性と女性の性器になっていたり、まぁ、それはそれで「すげーもん見た」んだけど、それらコラージュされた写真が本当に彼の見た光景だとするなら、病院を薦めたいところではあった。

俺も友人も顔を見合わせているところ、彼は、ひょこひょこやってきて、「やぁ」などと。

ラブ・アクチュアリーのDVDを見た。良い映画でしたよ!カンニングのキレ芸に徹するしかないほどに良い映画!シンプルに良い映画。不自然な、整形されたありえないラブストーリーじゃなくて、とにかく、日常、根の張った数人の同時間のドラマで、最後の空港、一般人に帰結するあの、あのなんていうんですか雰囲気!苦渋やら、エロさやら、楽しさやら、全てが良いバランスで、ラストのクリスマスに向かっていくあの心地さたるや、素晴らしい。最後のオチも、最初のメッセージがすごい生かされてて最高。あのlikeイギーポップなおっさんも良い味出してる。

「クリスマスということ」である。本当にラヴ・アクチュアリーである。イギリスの風情がまた、良い。

911での最後のメッセージ。もうすぐ死ぬ状況、一言言うしかなくなった状況で、誰が死ぬ前にむかつくやつに電話して、「お前、バカ!」って言うか!って話ですよ。もちろん、「愛してる!」。これだ!幾人のドラマだったであろう「I love you」がそこにあったはずで。もう、未だに性悪説とか信じている人はとりあえず、これ見て頂きたい。結局、人生は冒険であり、ドラマであると確信した次第。

落ち込んでたのに、パワーもらえた気がする。

「死ぬ前に俺の見た美しい光景を全て残す」などといって、彼は写真を撮りまくっていて、その有名になりたい、或いは、なりたかった意欲があるならば、充分、その執念深さで死の誘惑を乗り越えてもらいたいものだが、もっぱら彼にとって生は、マーク・ボラン気取りだかなんだか知らないが、「30歳までのもの」らしい。

生き急ぎ過ぎじゃないか。もっと肩の力を抜けよとも言いたいが、「人生は30で決まるから」といって話にならない。「茶坊主が分かったような口きくんじゃねぇ、バイトでしか働いたことねぇブルジョア芸術家気取りが!」などとも思うが、俺だってやつと同級生である以上、社会の何たるかも分かってないし、勿論バイトでしか「分かったようなこと」を言えない以上、社会のなんたるかなんてアドバイスできない。そもそも、なんたるかなんてないのかも知れないけども。

そういう状況で、偶然にもというか、親切な先輩やおじさん、まぁ身近な大人、そういう人が彼の生を肯定する、しがみつかせる何かを言ってやるとか、相談事にのるとか、そういうことをしてやるのが「更正」だったり、「教育」だったりで、良い方法なんだろうが、最近は、大人も意気消沈、元気なく、人にアドバイスできるような状態ではなく、寧ろ肥大化した自意識によって、他人は他人という薄ら寒い哲学がはびこっている中で、誰一人として、彼に「おい、そこの坊主!ふざけたこといってんなよ」などと立川談志が毒舌まじりに彼の絶望をひも解いてくれるわけでもない。

そこで彼も彼なりの肥大化した自意識でもって、この社会に対抗するわけで、「俺の作品が認められるか、認められないか」という二項でもって全てを判断するようになり、最終的には「認められない=社会が悪い」などと、甘えこの上ないご都合主義で世界理解をされているその理解の狭さとわがままさに心底、嫌になったというか、まぁそんな状況であった。

「そこまで言うなら、見てやろうじゃないの」と、友人とともに彼が自腹で開いた個展を見てみたのだが、何だこれ、彼の重苦しい精神世界がそれこそ「爆発」されていて、新鮮さや見て楽しかったという感覚は皆無であった。彼の家族との喧嘩とも思える写真をぐだぐだに切り刻んであったり、黒く塗ってあったり、卒業写真がぐちゃぐちゃに刻まれモザイクされ、「表面的な関係」とか書いてあったり、どっかの大学の講義風景で、全員の学生の頭が男性と女性の性器になっていたり、まぁ、それはそれで「すげーもん見た」んだけど、それらコラージュされた写真が本当に彼の見た光景だとするなら、病院を薦めたいところではあった。

俺も友人も顔を見合わせているところ、彼は、ひょこひょこやってきて、「やぁ」などと。

ラブ・アクチュアリーのDVDを見た。良い映画でしたよ!カンニングのキレ芸に徹するしかないほどに良い映画!シンプルに良い映画。不自然な、整形されたありえないラブストーリーじゃなくて、とにかく、日常、根の張った数人の同時間のドラマで、最後の空港、一般人に帰結するあの、あのなんていうんですか雰囲気!苦渋やら、エロさやら、楽しさやら、全てが良いバランスで、ラストのクリスマスに向かっていくあの心地さたるや、素晴らしい。最後のオチも、最初のメッセージがすごい生かされてて最高。あのlikeイギーポップなおっさんも良い味出してる。

「クリスマスということ」である。本当にラヴ・アクチュアリーである。イギリスの風情がまた、良い。

911での最後のメッセージ。もうすぐ死ぬ状況、一言言うしかなくなった状況で、誰が死ぬ前にむかつくやつに電話して、「お前、バカ!」って言うか!って話ですよ。もちろん、「愛してる!」。これだ!幾人のドラマだったであろう「I love you」がそこにあったはずで。もう、未だに性悪説とか信じている人はとりあえず、これ見て頂きたい。結局、人生は冒険であり、ドラマであると確信した次第。

落ち込んでたのに、パワーもらえた気がする。